コンピューター判定について
1999.1.28
99.1.27朝日新聞(朝刊)主張・解説「納得できる認定システムを」を読んだ。
社会部の寺崎省子さんが問題点を丁寧に整理している。
しかし、一次判定のコンピュータープログラムが公開されていない現状では、「納得」などありえないだろう。と、ぼくは思う。一昨年ぼくも仕事柄、介護認定審査会モデル事業の委員になり、二次判定の審査を経験した。
しかし介護認定審査会の委員には、一次判定を下すコンピューターの判定基準、判定の経過、判定の理由がまったくわからないのだ。
そう、まさに一次判定はブラックボックスの中なのだ。
「コンピューターさんは、なんでこんな判定を下すんでしょうかね?」
なんて、介護認定審査会の中で話し合っている始末なのだ。今、ぼくがこうやって、キーボードに向かい、エディッタで文書を書き、インターネットで自分の意見を表明できるのは、たしかにコンピューター技術の発展のおかげだ。
近年のめざましいハード・ソフト両面の技術開発によって、コンピューターは ぼくたちの暮らしに根付いていろんな事をこなすようになった。
そのためあたかも万能の機械のように思われがちだが、コンピューターはしょせん単なる計算機なのだ。開発途上の人工知能(AI)技術を除けば、プログラム、つまり計算式がどうなっているかで決まるだけのことなのだ。なにしろ、ここでしっかり認識しておかねばならないことは「コンピュータープログラムが実質的な判定基準となっている」という事実だ。
そして、そのプログラムが公開されていないという事実。
99.1.27朝日新聞(朝刊)の記事では、厚生省介護保険制度施行準備室の話しとして「要介護度は状態像ではなく、ケアに必要な時間で決まる」とのことだが、訪問調査で調査員が記入する85項目等の基本調査は、介護に要する時間を実際にタイムスタディするわけではない。
データとしては訪問時に把握された状態像を入力する他ないのだから、プログラムは、調査項目の状態像をケアに必要な時間数に分析、積算し、何分以上が要介護いくつと判定基準を設けて設計するしかないのだ。コンピューターによる一次判定を変更するには、介護認定審査会の判定委員達は、それなりの明確な理由を述べる必要が出で来る。
一次判定を覆すだけの理由が必要なのだ。
だが、一次判定は、判定の理由、つまりはプログラムを公開しないというのだ。
こんなめちゃくちゃなルールがあるだろうか。
どんな判定基準でその判定を導き出したかの理由がわからなくては、判定を変更するに足りる理由を明確にできるはずがない。
これでは介護認定審査委員は、一次判定に対して、推察、推量、推測、類推、の世界で感想を述べるしか道はないではないか。コンピューターのプログラムを非公開にしている理由は何か。
どう考えてもコンピューターの名を借りて判定基準を秘密のままにおいておきたいとしか思えない。
「世界初。世界に類を見ないコンピューター判定」などと銘打っているそうだが、そりゃそうだろう。そんな馬鹿げたこと世界中のどこの国も真似するはずがない。公的な判定基準がブラックボックスなどということは、近代民主主義国家ではあり得ないことだ。コンピューターから導き出された結果にある種の権威を持たせ、いかにも真の実態像が浮き上がってきたかのように思わせてしまう。バーチャルな世界が現実の世界を凌駕してしまう現代の病理をあたかも反映している気さえする。
このような事態を指摘する学者もいない福祉の専門性の脆弱さ。二次判定に人間の英知を求めるならば、一次判定のプログラムを公開すること。そんなこと、基本中の基本だ。
判定結果に不服を申し出た要介護者から、判定の過程の情報公開を求められ、プログラムの開示を裁判所から命じられるまで、まさか隠し通すつもりでもないだろう。
インターネットでいち早く情報公開をし始めた厚生省。
さすがと思っていたのだが。この体質は・・・。
非加熱製剤の教訓から何を学んだのだろうか。
参考:
介護支援ホームページ(土肥徳秀)
http://www.mars.dti.ne.jp/~doi/コンピュータで人間の要介護度が計れるのか(武蔵野市介護保険ブックレット II) http://www.city.musashino.tokyo.jp/japanese/kaigohoken/book/teigen3.html
医療保険福祉審議会 老人保健福祉部会・介護給付費部会
第12回合同部会議事要旨(99.4.5)
第13回合同部会議事要旨(99.4.14)
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