A家の姑は、「我が家では、台所に関しては全部、嫁の自由にさせています。」と語り、それが三世帯同居をうまくやる秘訣だと近所に自慢していました。
隣のB家は核家族。
私はここで、たんに核家族の推奨をしているわけではありません。
実際に嫁は、献立も買物も調理も片付けも、自分ひとりでやっていました。
しかし、A家の嫁はそれを自由だとは思えませんでした。
なぜならば、そこでの自由とは、嫁と姑という上下の関係から「許可して与えられた自由」だと感じていたからです。
B家の妻は、見た目にはA家の嫁と同じように自由に台所を切り回していました。
しかし、その自由とは、誰かに「自由にさせてもらっている」のではなく、もともとが自由なのでした。
生活の質の根底にある「関係」の、例え話として取り上げただけです。
自由とは何なのか。
それは目に見える現象や、物理的条件だけでははかりきれません。
人と人との関係によって規定され、本人がその状態をどう感じるかにもよります。
「これが自由だ」と、誰かが決めてしまったら、その瞬間からそれは自由ではなくなります。
ノーマルとはこれだ、と他人が決めるのも同じことです。
自由とは、人間の数だけ存在する。
だから、おもしろいんですね。