財団法人かながわともしび財団主催・サラリーマンシニア のための介護セミナー 2000.2.5

■実施内容(講義録・論旨要約)
講義レジュメ

講義「高齢者介護は今_その現状と課題」

〔講 師〕高橋健一氏(特養カトレアホーム施設長)

私はもともと介護の仕事から老人ホームで勤めるようになり、生活相談の業務をへて、5年程前から施設長をしています。1対1で家族の方、お年寄りご本人、そしていろいろなホームを支えてくれるボランティアの方々と話をするということをずっと仕事としてきました。実際に僕自身は、自分の中心にあるものというのは、やはり1対1の相談業務ではないかと思っています。

ボランティアの受入れ窓口を20代の頃からしていたので、ほとんどボランティアの方々に育てていただくというような形でした。そのボランティアの方々というのはほとんど女性です。女性は、特に地域の中でいろいろな活動をされていて、老人ホームなどでも介護のボランティア、お掃除のボランティアをしてみようということでお越しいただくわけですが、まず「何か自分のできることをしてみたい」「自分が施設でどんなことをできるかな」と、あまり構えないで飛び込んできます。そういう方々と長く付き合いさせていただいて、ボランティアのコーディネートの仕事をしてきました。

ところが男性のボランティアの方が見えますと、僕の性格がいけないのかと思うのですが、「ボランティアの目的を何にするか」「もし来られなかった、ときどういうふうに連絡をするか」。グループで動くとすると「まず会則を作ろう」「年会費はいくらにするのだ」と、まず形を決めないと動けないとおっしゃるのです。組織を作ってから目的を作って、それで動いていくのだと、そうではないと意味がないとかと言われてしまうのです。確かに組織の中で動いていくには、そういうこともとても必要なことなのですが、本当に自分の住んでいる地域の中で近所付き合いとして、いろいろな福祉の活動に関わっていくということを僕はイメージしているものですから、なかなかその辺が受付係として怠慢だとか、お叱りを受けることが多かったのでした。

それではまず始めに、イメージをしていただきます。よくあるなので、もうご存じの方もいると思いますが、僕自身は現場で相談業務をしながら、相談業務の勉強としてカウンセリングをいろいろと習ってきました。その感受性訓練等の中で出てきたりして、なるほどと思ったものを紹介をします。決してこれで評価や検査をするというものではありません。ぱっとこの絵を見て何に見えるかということです。何に見えるでしょうか? 

女性? 年齢はいくつぐらい? 若い女性? だいたい何歳ぐらい? はい、30歳ぐらいの若い女性に見えるそうです。それ以外に見える方、いらっしゃいますか? 

はい、犬に見える。犬がどんな感じに? 顔が大きく、口を開けているような感じ、ベロを出している? 

はい。その他に、何か他に見えるという方はいますか? 

はい。女性と動物が仲良くしている。

その他、そんなところでしょうか? 別にどう見えても、それがいいとか悪いとかではないのですが、何か他に見える方いらっしゃいますか?

はい。虎に見えたり、若い女性に見えたりする。この会場の中でおばあさんに見える、何となくおばあさんに見えるという方いらっしゃいますか? 2人ぐらい。何が正解かということではないのでご安心してください。

実は、これはどのように見えてもまったく構わないのですが、もともとの絵のタイトルは「老婆と貴婦人」という絵です。説明をすると分かるのですが、ぱっと見るといろいろな動物や若い女性、老婆に見えたりしますが、すべて正解です。同じ絵をここに集まった50人の方々が、それぞれ違う見方をして「自分はこう見える」とおっしゃっていたのです。同じものを見ても、まったく受けているものは違います。そして「若い女性に見える」「老婆に見える」「動物に見える」と言われたときに、いったん自分の考えを置いて、聞く耳をもつことによって、「あ、そういうふうにも見えるな」「あ、こんな見方があるのか」「あっ、なるほど、そうも見えるね」と分かってくるのです。自分の心を開いたときに相手のことが分かります。それは理解するというより一瞬なのです。分かるとき、気づくときは一瞬です。それも自分の中で決めつけていたものをいったん横に置き、他の人の話を聞いてみて分かってくるのです。それを「あなた間違っている」「絶対貴婦人なんだ」「絶対老婆なんだ」とお互い譲らなかったら、譲りようがなく両方とも正しいわけですから、分かち合えないのです。その人その人が考えていることが、思っていることが、感じていることがその人にとっては真理なのだということが前提にあって、人間関係をつくっていくということも必要なのだと思っています。

もう1つ、お手元にこの紙があります。「友人」「健康」「お金」「家族」「近所付合」「自分自身」「名誉」「親戚」の8つのキーワードがあります。これは人間個人を取り巻く社会的なさまざまな要素と言われているものです。これを一つひとつ削除するゲームをしていきます。隣の人と相談をしたり、隣の人のものを見たりしないでください。さっきの絵のように一人ひとり感じるものが違うと思います。8つのキーワードのイメージを自分の中で少し膨らませてみてください。これを順番に1枚1枚削除していき、最後に1枚を残します。

それでは、すべてこれは大切なキーワードですが、物騒な話ですが、横から鉄砲でも突きつけられてどうしても捨てろと言われ、仕方がないので捨てるという状況だと思ってください。削除の仕方ですが、真ん中からビリッと破って握り潰します。それでは8枚のカードのうち1枚を選んで削除していただきます。手元に7枚のカードが残ります。そして次々1枚ずつ選んで削除します。最後に1枚のカードが残ります。普通はゲームというと、リラックスしたりするために使うのですが、これはまったく楽しいゲームではなかったかもしれません。

別に評価や分析などをするわけではありません。どう感じられても構わないのですが、このゲームを実際、対話訓練のときなど泊まり込みで、自分の心をずっと開いていきて、友だち一人ひとりの顔や、家族一人ひとりの顔を思い浮かべて、もっとイメージを明確にしてからしますと、途中でしんどくなって続けられなくなってしまいます。

これはやってみる時の自分の年齢によっても違うと思いますが、僕自身がこれを初めてやったのは、ちょうど自分の子どもが生まれた後だったと記憶しているので、20代の後半だったと思います。僕は「自分自身」と「家族」という2枚が最後に残ってしまいました。やはり自分自身を破り捨てて家族を残しました。このときすごく辛かったのですが、「あっ」と思ったのです。「自分さえ老人ホームに入れば家族は介護の負担から逃れられる」「自分さえ今まで住み慣れたところを離れて老人ホームへ入れば、これで家族を守れる」。老人ホームに入って来られるお年寄りは、最後に家族を残すために自分自身を切って老人ホームへ入ってくる。そういう思いを持ってホームに入る方がいらっしゃるのではないかと。すべてがそうだとはいいませんが、そういう方も結構いるなという気がしたのです。これは個人を取り巻くいろいろな環境、要因といいましたが、高齢期の喪失体験というようなことも言われています。

要するに高齢期になってくると、否が応でもこういうものを一つひとつ喪失していくといわれています。例えば「健康」は病気になってしまいます。そして、身体が不自由になってくると「近所付き合い」などは疎遠になり、ましてや老人ホームに入るとできません。「お金」も息子に管理され、「親戚」付き合いも、「地位」とか「名誉」も会社を離れるとなくなり、自分の寄り所みたいなものを失っていく。一つひとつ高齢期の中で失っていく、そういう高齢期の喪失体験になりますという形で、説明されると「ああ、そうですか」と、頭では理解できるのです。しかし、それを実際にゲームとして行動に移して「破く」ということで、感じることというのは僕にとって痛みだったのです。頭で理解するのではなくて、心で分かるという感じです。まだ20代後半の頃だったのですが、お年寄りが老人ホームに入るときに、こんな苦しみを持ちながらみえる方がいらっしゃるのかなと感じたのです。それも大きな体験になっています。

ですから老人福祉をどんどん進めていくために、どんどん、どんどん老人ホームをいっぱい造ればいいという意見には、僕は「ああ、そうだ。その通りだ」とはまったく思えないのです。やはり地域の中で、住み慣れたところで、障害を持っても介護を受けていける。そのために一時的に利用する施設であり、地域の中にあってそこで暮らして、家族や友だち、近所付き合いなど、いろいろな交流を持ちながら、安心して介護を受けられる施設であるならばよいのですが、茅ヶ崎の「カトレアホーム」というのは調整区域の中です。まったく民家のない山の中にポツンと建ち、周りは老人病院がいっぱいあり、大学が最近でき少しは明るい感じになりましたが、南側には不燃ゴミの埋設所、北側にはPCB、カドミウムの埋設所があります。そういうところに年を取って障害を持ったということで、社会的に福祉政策の中で来なくてはいけない。そういうものをたくさん造ればそれが老人福祉だとはまったく思えない気がします。そんなことの原点になるゲームだったのです。

私たちは、施設の中にオンブズマンを入れるという運動を全国で先駆けて始めました。地元の茅ヶ崎、藤沢、横須賀の一部の16施設が加盟して、あと新しい施設を入れると18施設ぐらいになるのですが、知的障害の方や身体障害の方のための障害者施設、高齢者の福祉施設の入所型が主なのですが、50_100 人ぐらい入っている施設などの施設長が集まりネットワークを組みました。今年で3年目になりますが、当初は8施設の施設長が集まり、共同でお金を出し合い、大学の先生、弁護士、元ジャーナリスト、障害児をお持ちのお母さんなど6人にオンブズマンになっていただき、1ヵ月に1回施設に訪問して、お年寄りや障害者の方々の相談を受けるというシステムをつくりました。オンブズマンの任命は運営委員会として私たちがして、オンブズマン自身はオンブズマン委員会を組織し、独自に活動をするという形にしました。自分で自分の首を締めるような作業ではありますが、やはり入所型の施設というものは、人里離れたところにあり、自己完結的、閉鎖的と言われるのですが、ボランティアなどが来ないと、どうしても外部にいろいろなものが見えません。家族の方が面会に来られても夜勤の体制まで分かりませんし、その中で何が行われているのかというのが見えにくいです。利用者や、家族、ボランティアが不審な点や、納得がいかない点があったときに、直接に施設に言うとなると、家族にとっては人質を取られているわけですから、なかなか言いにくいし、何か遠慮があります。ですから私たちも一生懸命に聞く耳を持って、「気楽にどうぞ話してください」と言っていますが、それでもなかなか言いにくいことがあったら、第3者が相談に来たということ自体も秘密にして、事実を調査し、必要があれば、その人のことをしっかり守りながら苦情処理を行う、権利擁護を行うというシステムをつくりました。

介護保険が4月から始まり、その中で国がさまざまな施策を出してきて、オンブズマン制度の導入も厚生省が動き出していますが、そういう動きをつくってきたのは、とっかかりになったのは僕らの活動なのだろうと自負しています。

施設という組織の中を開く、組織の中に外の風を入れるということは、やはり組織の中だけで自己完結していた点や、良かれと思ってしていたこと、もしくは組織の中で隠して分からないようにしている、目をつぶっていることを無くそうということのために、社会的にオンブズマンをつくりました。

これは組織の中はもちろんですが、もっとプライベートな家庭の中、家族の中も入って見えにくいです。そこでお年寄りの権利擁護をどう支援をしていくかということになります。

カナダで作られた福祉分野の専門家のための手引書があります。カナダの福祉のケースワーカーや、看護婦など相談を受けるような立場の人たちが、家庭内における高齢者の虐待に対して、どのように対応していったらよいのかというのをまとめたマニュアルです。このカナダの文献を翻訳したのはやはり老人ホーム仲間なのですが、北海道にある「旭ヶ丘の家」という、フィリップ・クロード神父という施設長のカトリック系の施設なのですが、そこに関わっているシナジーワークの祐川さんという私の友人が翻訳をしてくれて、それをインターネット上に載せています。

「身体的な虐待」「心理社会学的・心理学的虐待」「経済的虐待」に分類されています。身体的虐待とは、暴行や、手荒い扱い、性的虐待、食べ物や介助などを十分に与えないような、身体にダメージを直接与える虐待。そして心理社会学的・心理学的虐待とは、言葉の暴力、社会的な孤立、愛情の欠如、精神的にダメージを与えること。経済的虐待は、お金や財産の悪用、詐欺などです。

次に身体的虐待のエスカレーションパターンですが、もっとも軽いところからいくと、頭皮の傷とか猿ぐつわの跡、かき傷、切り傷、打撲の傷、タバコによる火傷、ロープの傷跡、熱湯による火傷ということがあります。それが、捻挫、刺し傷、触られると痛い傷。それからどんどん上がっていくと、最後には死亡、殺人というような形でエスカレートしていきます。これはカナダでの分析ですが、日本の場合、科学的に統計データなどで調べたわけではありませんが、家庭内の虐待は、殺人まで至らない場合が多いと言われています。介護で殺人などに及ぶ場合は、普段は真面目にきちんと介護をして、それがある日突然発作的に、もう自分では介護できないと思い、お年寄りの首を締め殺人に至るのです。抱え込んでいるタイプの方が日本の場合は殺人になってしまうと言われています。

次に「心理的な虐待」です。身体的な虐待に比べて、もっと身近だと思ってしまいますが、アンビバレンツ、服従、へつらい、恥ずかしさ、回避行動、強いられた孤独、恐れ、まつわりつく、それからこういった、心理的にかなり追い詰められた状況があって、最後には心理的な虐待によって自殺に追い込むということが起きてきます。

そしてその次が「経済的な虐待」。高齢者の所持金、財産、資産を搾取、横領、悪用ですが、これは財産を本人の承諾なしに、介護者や子どもたちが勝手に使ってしまうというようなことです。派遣に入ったホームヘルパーが盗んでしまうという例もあります。

また「無視、放置」ということもあります。必要な介護、保護といった基本的なニーズを満たさない。何もしないという事も一つの虐待になります。本当に追い込まれてくると、他人事ではなく、見て見ぬ振りをするということは、頻繁に家庭でも起きてくる可能性を持っています。

次に「公民権の拒否」もあげられます。“プライバシーの権利”“投票の権利”。投票の権利が出てくるのがカナダらしいのですが、やはり民主主義がしっかりと機能していることで、これも十分に保証されなければ虐待に当たるのだと定義付けがされています。

それでは「高齢者の虐待とその原因」についてみます。「高齢者虐待の一般的特性は犠牲者と家族が社会的に、そして地理的に他から孤立していること。犠牲者が虐待する人に比べて権威がなくなってきて弱くなって依存的な立場になっていることです」とあります。要するに家庭の中に閉じこもってしまい、近所付き合いやその他のものから隔離されてしまい、かつその中で今まで権威があったお年寄りが身体が動かなくなったことによって権威を失っていくという中で、虐待の温床ができていくと言われています。

これは社会的な位置付けでも弱い立場になっていくという、社会的なシステム自体の問題もたくさん出てくると思います。例えば、一定の年齢になったら無視してしまうということ。この間、テレビ視聴率が、60歳以上の方はカウントされないということが問題になっていました。60歳以上の方は対象外になっているのです。そういうことも平然と社会的に行われています。また、学校教育などの問題もあるのですが、昔はお年寄りが知恵袋となり、食べ物の食べ合わせや、わらじ作りなど様々な伝統が継承されてきましたが、そういったことは学校教育の中では非科学的として否定されてしまうのです。そうすると、お年寄りは嘘つきということになり、子どもたちからも権威がなくなっていきます。お年寄りの知恵を生かして、「非科学的だけどそういうようなことってすごく大切なんだよ」「そういう目に見えないものを大切にしていこうね」ということを親の世代が伝えられるとよいのですが、その親たちがもうそういう知恵を持たなくなっている時代にきています。その中で高齢者たちが社会的に権威がなくなってきてしまうということがあると思います。

そして「介護者の疲労」。いずれにしても「この急激な社会変動は、家族に多くのストレスを課しています。介護者、しばしば女性ですが、多様な役割を担っております。現代女性は育児と高齢の両親のために、フルタイムまたはパートタイムの仕事をしたいという要求をごまかしているということを自覚しております。お年寄りの世話は別として、同様に世話をする必要のある子どもを抱えている訳です。これらの役割を女性だけが担う事がしばしばある訳です」。これはカナダの話ですが、カナダでもやはりこういったことがあります。国際的にも女性が家庭の中で、家事や育児、介護の主な役割を担わされていて、男は仕事が忙しいといって家庭に入らず、仕事に逃げているという状況があり、介護者の疲労が極限に達するのです。育児の場合は“1歳過ぎたら歩き出す”“4歳になったら幼稚園に入る”“小学校に入る”と、育児をしながらある程度先が見えて、成長を楽しめます。ところが介護はだいたい下り坂です。一所懸命リハビリをしても、少し歩けるようになったかと思ったら、また脳卒中の発作が起きて動けなくなってしまったりと、効果がなかなか見えません。そしていつ終わるか分かりません。5年、10年寝たきり状態がありますから「私の人生どうなっちゃうのだろう」と、それをしばしば男性は、他人のこと言えないのですが、自分は仕事で、妻にすべて任せてしまうのです。「俺は仕事で疲れているんだから、そういうのはお前に任せてある」ということを、自分自身も言ってしまうのですが、家事の分担と同じように男性が、どのように家庭の中で介護に関わっていくか、また家庭の中だけで抱え込むのではなくて、社会的な資源というものをどう使っていくかというようなことに、かなり大切な役割を果たす状態になっているのだと思います。

特に今、介護保険が実施されようとしていますが、その点でもやはりもっとも大切なのは介護保険の理念である「介護の社会化」です。介護は家庭の中で抱え込むのではなくて、女性に押しつけるのではなくて、社会で受け持っていき、家族は精神的な関係で暖かい環境をつくればいいと思います。

これは決して特別な、病的なケースではなくて、非常に身近なケースとして虐待が起きてきてしまうということをぜひ理解していただきたいと思います。

虐待というのは、ただ傷をつけて、けがをさせるということだけではなく、精神的なものもあるし、本当に身近に自分の中に虐待の芽があるのだということをお分かりいただけたかと思います。

昨日、テレビの映画を見たのですが、悪い奴が出てきて悪いことし放題して、最後に主人公に撃ち殺されて終わるという映画です。やはり僕の中にもそういうものでスッキリするという心理があります。そういう心理というのは、どうも虐待の根っこのほうでやはりあると思います。

僕の介護体験の中で、お年寄りに2人も3人も1度に「おむつ交換してください」「歯を磨きたいんですけど」「のどが痛いんですけど」と言われると「ちょっと待って!」「もう、うるさい」と思ってしまうことあります。返事をするとき「はいっ!」(嫌そうな感じ)とか、荒がってしまったりとしたことがあります。追い詰められるとやはり人間は、あまりゆとりがありませんから、いろいろ出てしまいます。性善説や性悪説ではなくて、僕自身、天使にも悪魔にも両方なれるということです。

社会福祉施設で権利擁護をしていて、老人ホームの施設長の仕事をしていて、ここで虐待について話をしていますが、実際に家庭では自分の親たちに向かって「もう勘弁してくれよ」というのがありますし、仕事だから冷静にできるという部分があります。朝9時頃タイムカードを押して夕方6時頃帰る介護の仕事だからその時間は一所懸命介護をしますが、これが24時間、365日、2年、3年、4年、10年、ずっと続いていく、終わりが分からないということに家庭がなったとき、僕はそんな虐待について言える資格が多分ないと思います。仕事として一歩離れて関われるから少しでも冷静にと思います。

その中でも、やはり介護の現場の中で虐待があるのです。夜勤の誰の目に触れないところで、お尻を叩いたり、「またこんなに糞しちまったのかよ!」とか言って殴られたりという訴えがお年寄りからあります。すると「あんたは私が夜勤のときお尻を殴ったことを言ったね? おかげで俺は園長に叱られたじゃないか」と仕返しされてしまいます。そういうメカニズムみたいなものが組織の中にもあります。そういうことをなくしていきたい。特に職場の中では一切許さないと思っていますが、家庭の中で起きた場合、介護者のことを責められないのです。介護者は本当に追い詰められています。いかにその介護者を社会的に支えていくか、ぜひこのような講座を使っていろいろな社会的なサービスを知ったり、自分が苦労しないで、できるだけ身体に負担にならない介護の仕方を憶えたりして、自分の中で抱え込まないで自分を開いていってください。まだまだ家庭の中で抱え込み、こういう講座にも出て来ないで孤立している人たちに、近所付き合いの中で知らせていくということがたいへん必要なのではないかと思っています。

それでは、これから簡単な対話訓練をしたいと思います。今から2人1組になっていただいて、パートナーを組んでいただきます。そして簡単な話をするという演習をしていきたいと思います。男性と女性がなるべく一緒になってください。そして膝と膝がくっつくように向き合って座っていただきます。それでは、まずAさんとBさんに分けて、Bさんは座ったままで、AさんがBさんの前の正面に立ってください。なるべくくっ付いてください。そして、立っているAさんは少し腕組みをしてください。AさんとBさん目と目を合わせてください。

それでは手をほどいて。今度はAさんがお掛けになって、BさんがAさんの前に立ってみてください。立っていただいて目と目を合わせてください。では腕組みをしてください。

2人とも腰掛けてください。90度に腰掛けてください。どんな感じを受けられたでしょうか。例えば、よく介護の中でベッドにいらっしゃる方や、車椅子の方に「おはよう、元気? 朝ご飯食べれた?」と言ってはいけないということをよく言われるのです。ベッドの高さや、相手の高さより同じか、低いぐらいになって話しなさいと言われます。実際に威圧感を感じて、不快感を相手に与えたくない、というところからくると思います。自分が威圧感を感じてみると気付いていきます。

それでは、正面に向き合って座ってください。膝と膝がつくぐらいにピッタシくっついてください。目と目を見つめてください。では楽な姿勢に戻ってください。

よく話をする時はしっかり相手の目を見てと言いますが、意外と日本人というのは目を見るのが苦手だと言われています。僕自身もそうなので、無理に目を見なくてはいけないということは意識しなくてもいいような気がしますが、例えば、国際線のスチュワーデスが東洋人を見たときに、日本人と日本人以外のアジアの人たちと日本人を見分けるのは、「いらっしゃいませ」と目を見て挨拶をするときに、パッと目をそらすのが日本人なのだそうです。相手と話をする、相手の話を聞くときに、正面に座って直接目を見るというのは、威圧感があるということを感じていただけたかと思います。

それでは90度に戻ってください。この90度の角度というのは目をそらしやすいのです。何か相談をするときや、話を聞くときなどはこの角度で話をすると、相手も話しやすくなります。ぜひ自分がもしも何か間違えていたりするときや、何か落ち着かないなという空気を感じたときに、少し工夫をしてみてください。

それでは、その位置で簡単に握手をしてください。はい、離していただいて結構です。今まで2人パートナーを組んでいただきましたが、やはりただ向き合ったり、目を見つめたりというだけではなくて、少し触れてみることで、感覚が変わってきます。あまりそれを間違ってやるとセクハラと言われますので、気をつけなければいけません。

それでは、自己紹介を簡単にしたいと思います。差し支えのない範囲で、住所とお名前を、互いにほんの1、2分で紹介してください。

それでは、今日この講座に参加した理由を、今度はAさんからBさんに伝えて、Bさんはただ聞きます。聞くときは心を込めて聞いてください。これは傾聴と言います。相手が話しやすいようなポジションをつくってよく聞いてあげてください。Aさんは自分の思い浮かぶままで結構です。理路整然と伝えする必要はありません。

はい、結構です。ある程度自分の中で整理ができていて、話をして伝えてそれで終わった、という方もいますし、話しながら「こういうこともあった」「ああいうこともあった」ということで、時間が足りないと思っていた方もいますが、もし心の中に思い浮かばなくなったら少し考えて、自分の中で「あ、そう言えばこういうこともあって、この講座に参加したいと思ったな」と浮かんできたら伝えるというようなことで構いません。その時に聞き役が待っていてくれる。そういう環境を少し感じながら、自分でいろいろな事を分かっていると思っているのですが、相手に自分の気持ちを伝えようとすると、もう一度自分の中で整理をするのです。自分の中で整理して、自分がこの講座に参加した理由が明確になっていきます。明確にしないと相手に伝わりません。自分では分かっているつもりなのだけれども、人に伝えることによって明確になっていくこと、というのはたくさんあります。そのためには相手が必要だし、相手の方もそれをしっかりと聞いていてくれると、たいへん整理がしやすくなります。

それでは逆になってみてください。

身体を動かしたり、こうやって少し口を動かしたりすると、何か心がほぐれてきますね。最初にここに立ったときよりも、私自身もほぐれてきましたし、皆さんもリラックスしていると思います。頭で考えることばかりではなくて、全体の雰囲気、気をどのように作っていくかという事が、介護の中でも必要だと思っています。どんなに技術が上手になりテキパキとやっても、冷たい介護などもありますし、例えば言葉遣いも悪いということや、うちの年配の職員でもいますが、だけどお年寄りはその人におむつ交換をしてもらうと、とても気持ちがいいと、そういった個人差、多様性があっていいと思います。本当に相手の人の気持ちを感じられるような介護をしていけたら、というのが理想です。そのためにも簡単な対人関係について整理をしたいと思っています。

ここに、相談に来たときの答え方のパターンを説明している例があります。これは19歳の女の子が相談に来ています。それに対して5つ答えているパターンがあります。

19歳女子 「私お父さんを憎んでいるんです。憎くって、憎くって…。しかも別に何も理由はないんです。父は牧師です。善良な人です。1度だって私に乱暴な事をしたことはありませんけれど、私はこんな恐ろしい感情をもっているんです。私、自分がこわくなっちゃうの。でも何も憎む理由なんてないんですもの。父を憎むことなんてことは罪悪ですわー正しい理由もないんですからなおさらですわ。それで困っているんですの。」

これに対して答えています。

1 もちろんあなたは、お父さんをそんなに憎むということについては、罪悪感を感じるでしょう。特に、お父さんがあなたに憎まれるようなことを何もしていないのですから、なおさらのことでしょう。それからまた、あなたはお父さんに対する憎悪だけを認めているようですけれども、実はあなたは、その裏にお父さんに対する愛情をも持っているんです。そしてそれが、あなたの罪悪感を強めているのだということが分かるでしょう。

2 誰でもいつかは、お父さん、お母さん、あるいは両親を憎む時期があるものですよ。それは決して珍しいことではありません。たいていの人は、うまくやっていく方法を見つけ出して、万事円満におさまっているんですよ。

3 確かにそれは早く逃れたい問題でしょうね。両親と幸福な関係を保つということは、あなた方の年齢にとってばかりでなく、将来においても大へん難しいことでしょう。そのことのもっている意味をよく考えなくてはいけませんね。

4 あなたは、お父さんがただわけもなく憎くてしょうがないけれども、そのことに罪悪感を感ずるということで悩んでいるわけなんですね。

5 私たちは、いつもいっしょにその悩みの原因を考えてみなくてはなりませんね。お父さんのことを、もっと話して下さい。どんなことでもすっかり。お父さんはあなたに乱暴をしたことがないといいましたが、しかし彼はおそらく、あなたがやりたいと思っていたことをやらせてくれなかったんじゃありませんか。そんなことで何か思い出すことはありませんか。

「操作的アプローチ」と「理解的アプローチ」というものがあります。C・H・パターソンという人が出していますが、人間関係において2つのアプローチの仕方があり、操作的アプローチ(アプローチ…話を聞いたり、話を返したりという相談における選択肢)には、「調査的態度」「支持的態度」「評価的態度」「解釈的態度」があります。理解的アプローチには「理解的態度」があります。答え方のパターンが「調査的」「支持的」「評価的」「解釈的」「理解的」の5つに分けられています。これが先の1_5になります。

まず1番ですが、これは「解釈的態度」になります。「もちろんあなたは、お父さんをそんなに憎むということについては、罪悪感を感ずるでしょう」という解釈的な態度です。

2番は、「誰でもいつかは、お父さん、お母さん、あるいは両親を憎む時期があるものですよ」と、「支持的な態度」です。「万事円満におさまっている」と支持しています。

3番目は「評価的な態度」です。「それで困っているんですの」と19歳の女子が聞いたときに、「確かにそれは早く逃れたい問題でしょうね。両親と幸福な関係を保つということは、あなた方の年齢にとってばかりでなく、将来においても大変難しいことでしょう。そのことの持っている意味をよく考えなくてはいけませんね」ということで評価をしているのです。

4番目は、あっさりしていますが「それで困っているんですの」と19歳の女子が言ったときに、「あなたは、お父さんがただわけもなく憎くてしょうがないけれども、そのことに罪悪感を感ずるということで悩んでいるわけなんですね」と言っています。これは「理解的態度」になります。

そして5番目が「調査的態度」ですが、「私たちは、いつも一緒にその悩みの原因を考えなくてはなりませんね。お父さんのことを、もっと話してください。もっと話してくださいと聞いているわけです。どんなことでもすっかり。お父さんはあなたに乱暴をしたことがないと言いましたが、しかし彼はおそらく、あなたがやりたいと思っていたことをやらせてくれなかったんじゃありませんか。そんなことで何か思い出すことはありませんか」と調査しているのです。

われわれはさまざまな相談を受けたり、世間話の中でも人から相談を受けたりしたときに、自然に調査的な態度や、支持的な態度、あるいは評価や解釈を、自然な形で意図せずにしているのです。この調査、支持、評価、解釈をしているときは、本当の気持ちが通じないと感じていることが多いです。

元々いろいろなことで悩んでいる人たちというのは、自分の中で自問自答して、自分の中で調査をしたり、支持をして、「自分はこれでいいのだ」と思ってみたり、自分の中で評価をしたり、「どういう意味なのだろう」と解釈をしたりしているのです。ところがそれで答えが出なくて困っているのに、また目の前の人に話をすると、もう分かっているようなことをまた聞かれてしまうわけです。そういうようなことでは心が開けません。

そういう時に、「憎くて、そしてそれに罪の意識を感じるということで悩んでいるわね」と返してあげる。この「理解的態度」が、まず基本になるような気がしています。今あなたはこう思っているのですねと、まず受け止める。受け入れる。そういったことが相談にくる人にとって、心を開いてもらえるとっかかりになると言われています。そういう時に、本当はその人が最も悩んでいる自分自身のもやもやとしたものを分かってくれる、そういう相手を望んでいるのではないかと思います。(参考:大段智亮人間学教室)

それは例えば、皆さんにあまり身近にはないかもしれませんが、本当は家の中で無視をしたり、冷たい介護をしたりして罪悪感を持っていて、それを誰にも言えないという人がいるような気がします。自分のことを思うとそうです。仕事の最中でもそうだし、家庭の中でも自分の親に対してあります。そういうときに自分の中にある罪悪感を、誰か支えて、分かってくれる人が本当に身近にいて、そのまま受け止めてくれたら。自分がどういう態度で相手に接しているか、自分自身の態度を知るという自己覚知が必要だと思っています。

介護というのは、ただ単に介護技術を磨けば済むという問題ではなく、そういう関係性の中で、人の気持ちを感じたり、介護する側の人たちのいろいろな悩みや葛藤、いろいろな罪悪感などを周りで受け止めて、支えていくような関係を、家族の中や、地域の中、近所付き合いの中、もしくはボランティアとして関わったりと、理解的な態度を持つ関係を身近に作っていけたらと思っています。そういうことが結果的に虐待を防ぐ、そして虐待を表に開いていく、虐待が起きないような環境を地域の中につくっていく関係をつくっているのではないかと思っています。

◎参加者の意見・感想(抜粋)

○現場の方の話は十分理解できた。「高齢化に伴う“虐待の芽(機能の低下)”」が生じないよう、積極的に外に出て、会話、および知識(技術)の吸収に努めたい

○高齢者、または障害者への接し方、また、介護者のあり方等について考えさせられました

○幼児虐待は身近なものとして受け止めていましたが、高齢者介護の場でも生じうることなのですね。

○相手に対する接し方でずいぶん印象が違うと感じた。この講座のことを思い出して、親や子どもに接したいと思います。

○普段、何気なくの所作が心身の弱者に対しては虐待的行為となることを改めて認識した。

○誰の心の中にもある虐待。大なり小なり、人が人を見る関係において禁じえない行為かもしれませんね。介護される側の受け止め方の差からくる時もあろうし、介護する側の精神的、金銭的ゆとり等から来る時もあろうし。人間ってやっぱり弱いんですよね

○「虐待」については成る程と理解しました。老人ホームのオンブズマン制度はなかなか良いものだと思います。

○虐待については新聞等で見たことがありますが、私も長男の嫁として介護を考えている一人です。今はまだ自立していますが、いずれ必要になってくると思います。世間では、まだまだ介護は女性があるものみたいに思っていますが、高橋氏がおっしゃったように、私が高齢になった時は、社会的にサポートしてほしいと思います。

○虐待にもいろいろの種類があるということが分かりました。

○たいへん参考になった。ただし、オンブズマン制度の導入により行政がその意向に動いて行動するのは首をかしげます。何故なら、一般に有識者であってもメディアに洗脳された人たちが評論家的な意見の提出はどうかと思う。そのようなことには関係なく、正しいと思った事を日常の業務の中に取り入れていけばよいのでは。

○オンブズマン制度はとても良い制度であると感じました。


 財団法人かながわともしび財団主催・サラリーマンシニア のための介護セミナー 2000.2.5

 講義「高齢者介護は今〜その現状と課題」レジュメ


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