このごろ思うこと(1頁目)・永和良之助論文特集 http://www.NetLaputa.or.jp/~kent   

このごろ思うこと

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戦後52年4月〜5月分
愛媛県老施協の介護実習受け入れ保留問題

永和良之助論文特集

戦後52年(1997年)4月1日に新設しました
感じていることを不定期に書いていこうと思います
こころコロコロ、いろんな文体が散乱しています(^^;


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上ほど新着です
はじめてお越しの方は、下から順にお読み下さい

戦後52年5月28日)監査の強化が必要なのか?
戦後52年5月25日)永和さんからの手紙
戦後52年5月4日)スウェーデンの社会サービス法/LSS法
戦後52年5月3日)愛媛県老施協「実習保留」取り下げ
戦後52年4月11日)母性社会日本の病理
戦後52年4月1日)愛媛県老施協が介護実習受け入れ保留


 オンブズマン関連・新着新聞切り抜き

 朝日新聞・97.9.4(246K.jpg)
 神奈川新聞・97.7.6 (215K.jpg)
 シルバー新報・97.7.5 (176K.jpg)
 毎日新聞愛媛版・福祉オンブズネット97.6.15(67K.jpg)


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戦後52年5月28日

 監査の強化が必要なのか?

 97.5.2朝日新聞コラムを読みました。
 編集委員の秦洋一さんは、永和論文を取り上げ「抜き打ち監査」で「入居者のケアについてのきめ細かい指導」をせよと提案しています。
 秦さんは、今回の実習受け入れ保留問題に強い感心を寄せていたと聞いています。
 月刊誌としては地味な岩波の「世界」が、愛媛県老人福祉施設協議会の自浄能力のない言動を引き金に、結果的に世論を喚起させ、社会福祉法人のあり方について社会の目を向けさせたわけですからありがたいことです。しかしそれが、またあれこれと現場の事務量だけが増える、型にはまった監査の強化論でお茶を濁されたのではたまりません。

 監査権を用いよとする秦さんの意見に、ぼくは一面では共感し、また一方では、実際に現場で監査を受けている者として、異なった意見を持っています。

 公開情報を「真っ黒に消」す、「ケアの実態を隠す自治体の情報公開のあり方」の姿勢をみていると、行政吏員の行う監査にどこまで期待できるのか、疑問を感じてしまうのです。
 また「政・官・業」癒着構造日本の現実があります。
 特定な規模の有力資産グループが運営する社会福祉法人(5月3日「永和論文5月号を読んで」を受けています)は、実際には政官様々な分野へもいろいろな人脈をもっている場合が多いですから、許認可だけでなく監査などへも様々な影響が懸念されます。

 ぼくの体験からも指導監査の指摘事項などは、文書指導になるか口頭指導になるか等という微妙な判断は、実際には監査官の裁量の域に属しますから、特定の法人には甘く特定の法人には厳しく指導したとしても、その公平性は監査官を信じるほかないのが現状なのです。
 実際には、一部の補助金の支給基準に監査における「文書指摘事項の数」が支給判定の基準として用いられており、その裁量次第で補助金が支給されない場合もあるわけで、裁量の公平性は法人にとって切実な問題なのです。
 「邪推だ、監査官を信頼しろ」と言われるかも知れませんが、先の総選挙で自民党の公認候補となった茶谷滋被告(元厚生省課長補佐)は埼玉県の高齢者福祉課長だったわけですし、厚生行政への信頼は厚生省トップの前厚生事務次官岡光序治被告自らがぶち壊したわけですから。

 また、吏員による監査で「入居者のケアについてのきめ細かい指導」をすることには、私的生活の援助の場面に細事にわたって公権が介入する危険を包含している点で注意が必要です。このことは、ぼくが老人生活研究誌等に書いてきた「監査による個別処遇方針策定の指導を問う」など一連の原稿のテーマでもあります。
 その他、東京万華鏡に書いた「老人ホームの現場からみた厚生省」でも監査の功罪を述べました。

 では、どうするのか

 いつまでも監査という官僚主導型の行政指導に何もかもを頼るのではなく、市民監視による福祉オンブズマンの導入や、先駆的社会福祉法人自らの情報開示の手法はいかがでしょうか。

 たとえば監査の公平性への前述の懸念をはらすためにも、社会福祉法人自らが監査結果を公表する事はできないでしょうか。
 指導監査結果は公文書ですから、当事者の社会福祉法人が監査結果を自ら公表することには問題はないでしょう。なんら隠し事のない社会福祉法人であるならば、改善が必要な事項を公的に指導されたわけですから、その改善結果も含めて監査結果を公表していけたらよいのではないでしょうか。
 プライバシーが関わってくる職員の給料に関しても、何人の利用者に対して何人の職員が採用され、全体でいくらの人件費が支払われているかがわかるだけでも、その施設の姿勢が市民に対して明確になるでしょう。
 永和さんの指摘するような、経営者の親族職員の給料だけを厚く支払っているような施設には恐い話しでしょうが、健全な運営の施設であれば一般職員も人件費の配分が平等に行われている事をある程度理解できて、施設運営に関する職員の信頼感はかえって増すと思うのですが。

 1.社会福祉法人自らの情報の開示
と、
 2.第三者機関としての地域型福祉オンブズマンの導入
が図られるならば、“そこへも印鑑ここへも印鑑”“記録が不備だ書式が違う”などと監査官が変わる度に見解が変わる、型にはめて押さえ込む「アラ探し」監査の必要がなくなります。

 そしてこれからの監査を、
 3.社会福祉法人の経営と施設が運営する公的資金の使い道に関してのみに対象を絞り、それこそ「抜き打ち」で徹底的に調査を行い、その結果を全面公開する
というシンプルなものにすることはできないでしょうか。

 許認可も、補助金も、経営監査も、ケアの水準も、人権擁護までも、あれもこれも全て吏員に頼るという官僚主導型の福祉は時代錯誤、すでに終焉を迎えています。
 賛否はともかくとして介護保険の導入ともなれば、公的保険財源の健全な運用が今以上に問題となってきます。
 某ワープロソフト会社ではありませんが、監査のありかたも、「シンプルかつパワフル」を基本概念にするべきでしょう。
 


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戦後52年5月25日

 永和さんからの手紙

 永和良之助さん(聖カタリナ女子大学助教授)から手紙をいただきました。
 承諾を得ていますのでここに掲載します。(リンク部分は高橋が設定しました)


高橋さん

拝復
「このごろ思うこと」をご恵贈いただきありがとうございました。その後の「情報」を少しお送りしておきます。経緯をお知らせするのは大変な分量を要しますので、同封のものでご判読下さい。
 結論だけを言うと、愛媛県老施協との「争い」には一先ずピリオドを打つことにしました。論争をしようとしても、相手はリングに上がってこないのですから論争にならないのです。しかし、愛媛県老施協は卑劣な団体ですね。実習や就職拒否を武器に大学に圧力をかけ私を辞めさせようとしておきなから、マスコミに騷がれると、拒否ではなく留保だと言ってみたり、「重大な事実誤認がある」と言いなから、一度もその根拠・論拠も示そうとはしない。到底、責任ある団体とは言えません。
 「世界」5月号で述べましたが、この国の老人福祉を真に良質のものにしょうとするならぱ、私は品質保証のシステムを導入する以外にないと確信しています。老人ホーム関係者にも努力してもらいたいテーマです。
 「世界」論文の掲載は私にもよくわかりませんので、「世界」編集部の***さんに問い合わせてみて下さい。電話03-****-****
 私がお送りしたものについては、自由に掲載していただいても結構です。「結構だ」というのば、私を支援してくれという意味からではなく(私は誰に対しても支援の依頼をしておりません)、今回の問題は、老人ホーム関係者がみずからの問題として考えるべきだと思うからです。その材料となるのでしたら自由にお使い下さい。
 一つお願いがあります。紹介されていた「湘南オンブズマン」の資科になるようなものがありましたらお送りいただけませんか。私も近々、愛媛に福祉オンプズマンを立ち上げるつもりでいます。今、その資料をいろいろと集めています。このオンプズマン(権利擁護)の活動は、これからの私の活動において大きなウェイトを占めることになります。愛媛ケア研を立ち上げ、6月からデイケアを再び始めることにしました。いろいろな構想がありますので、しぱらくの間、教員生活と実践との両立生活になります。もっとも大学はいつ辞めてくれということになるやもしれませんが。ただし、辞めるときには自分の意志で辞めるのであって、不当な圧力や理不尽な行為に対しては、愛媛県老施協の場合と同様に一歩も引下がらずに闘います。インターネットの資料、よけれぱまたお送り下さい。お元気で。

5/22 永和良之助(自署)
二伸 この私信もインターネットで紹介していただいても結構です。(自署)

 

  参考:97.5.8毎日新聞愛媛版

 この手紙は、下記(5月4日記載以前)のインターネット掲載文を永和さんに郵送したことに対する返事です。

 このページは、永和論文問題をきっかけに開設しましたが、もちろんぼくは「永和さんをみんなで一緒に支援しましょう」と呼びかけるためにこの問題を取り上げているのではありません。
 4月11日に書いたように、福祉の現場に従事する者として、個人として、この問題に対して沈黙してはいられない思いにかられて取り上げました。個としての自分が何をなすべきかを考えたとき、目の前にインターネットがあったのです。

 永和さんが「今回の問題は、老人ホーム関係者がみずからの問題として考えるべきだと思うからです。」と言うように、ぼくはこの問題を聞いた当初から自分自身の問題でもあると感じていました。愛媛県老施協の一連の言動は、福祉専門職を名乗る自分自身の傲慢さや、ぼくの中に内包する強引な発想パターンの移し絵のようにも感じるのです。もしも、ぼくが愛媛県老施協に属していたら、内部からぼくはどれだけのことができるでしょうか。寝たふりをするしかないかもしれません。そんな自分の弱さを感じるからこそ、この問題を書き留めていきたいと思いました。

 ぼくの住む湘南地域では、永和さんのこれからの構想(同封資料後半)に先駆けて「湘南ふくしネットワーク」が福祉オンブズマンを立ち上げました。

オンブズマンには、
相川裕(高木法律事務所・弁護士)
石渡和実(東洋英和女学院大学 人間科学科・助教授)
大石剛一郎(木下・大石法律事務所・弁護士)
高山直樹(和泉短期大学 児童福祉科・助教授)
水野翔子(横浜国際福祉専門学校・教員)
若山真理子(茅ヶ崎在住・市民)
の6名が任命されました。(敬称略・アイウエオ順)

 永和さんには、早速「湘南ふくしネットワーク」のHPのコピーをお送りしました。

 いろんな事がいろんなところで共鳴して動き始めている。
 そんな気がします。


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戦後52年5月4日

 スウェーデンの社会サービス法/LSS法

 横浜市大の加藤彰彦さんから本をいただきました。
 「スウェーデンの社会サービス法/LSS法」
(樹芸書房・ISBN4-915245-45-4 C3035)
馬場寛 シャシティーン馬場 加藤彰彦 訳編著です。

 馬場寛さん・シャシティーンさんはご夫婦で、スウェーデンの福祉と医療の分野でご活躍です。ぼくも、ふたりが日本に来られたときにお会いして...本の中の記念写真にぼくも写っていました (^^;;;

 「結局いってみれば、スウェーデンの場合は政治を信用しているということです。他の国だと政治・官庁を信用しない、敵視する点がありますが。出産から大卒まで(病院、保育所、学校での費用)は沢山の貯金(税金)が国民に、戻ってきます。」(馬場寛)
 スウェーデンの国民は、高い税金を支払うことに満足はしていないれど、政治を信用しているから暮らしには満足しているというのです。

 うんうん。「政治・官庁を信用しない、敵視する」まるでぼくの事みたいですね。
 でも、ぼくは政治を敵視しているのではありません。日本の政治や官庁をほんとうに信頼できるものにしたいだけなんです。

 それには、あきらめて選挙に行かなかったり、長いものに巻かれたりしていてはだめなんです。いつまで待っても信頼は築けないと思うのです。
(だから、自分の思いをこのページに書いているのですが、あまりアクセスないし...(^^;。でもあきらめないで書き続けていきたいな。)

 高い投票率、徹底した情報公開、オンブズマン制度などなど、スウェーデン国民の民主主義、理念や思想性が社会サービス法にも生きています。ノーマライゼーション・自己決定・インテグレーションの理念...。暮らしに根ざした思想が法をつくっているんですね。
 特に、LSSの「パーソナルアシスタント(自分専属の介護人やヘルパーを自分で探し雇うことができる制度)」は画期的です。日本の介護保険も、加入者主体の保険だというならば、ぜひ手本にしたい制度です。


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戦後52年5月3日


 今日は憲法記念日です。
 戦争を放棄した日本国憲法を、ぼくは大切にしていきたいと願います。
 このページの記載日の年号だけですが、今日から西暦でも元号でもない「戦後歴」(明良佐藤さん提唱・元旦は8月15日)で現すことにしました。 日本が二度と戦後を繰り返さぬことを祈って。


 愛媛県老施協 実習保留を取り下げ

 愛媛県老施協の実習保留問題は、愛媛県老施協が抗議を取り下げ施設実習を全面的に受け入れることを決めました(週間福祉新聞97.4.28号)。当然の事です。
 愛媛県老施協会長は「大学側が各施設をまわり状況の説明があったことなど、誠意を示してくれた」「これでお互いの信頼関係も回復した」と話しているとのことですが、 会長の言う誠意とは、信頼とは、いったいどんなものなのでしょうか?

 愛媛県老施協は、抗議を取り下げるとともに「人間の尊厳に対する『拷問』」(愛媛新聞社説)ともいうべき実習保留問題に関して、大学と学生に対して謝罪べきです。
 その上で、愛媛県老施協は永和論文を「事実誤認も甚だしい」(97.3.31・朝日新聞夕刊)と言い切ったわけですから、私たち同業者の名誉にかけても事実誤認ならなおさらのこと永和論文への批判を永和助教授に対して正々堂々と展開していただきたいものです。誠意と信頼はその過程を経てこそ成り立つ関係です。


 永和論文5月号を読んで

 岩波の月刊誌「世界」は、茅ヶ崎ではなかなか手に入りにくい雑誌でした。取り扱っている書店がみつからず、5月号を読むのには苦労しました。結局友人から借りて読むことになりました。永和論文の全文をここに掲載もしくはリンクできるとよいのですが著作権の問題もあり残念です。ここでは、永和論文をお読みいただいていることを前提として、ぼくの思いを書かせてもらいます。ご興味があるかたは、図書館などで岩波書店の月刊誌「世界」4月号・5月号をお探し下さい。

 「世界」5月号の中で永和さんは、非営利であるはずの社会福祉法人も、運用のしかた次第では儲けのようなお金を捻出できる「錬金術」があるという事実を様々な具体的事例をあげて指摘しています。

 ぼくは直感的な人間ですので法人経営の学問的分析は不得手です。しかし永和さんの指摘した手口のひとつひとつが高齢者福祉の現場にいるぼくにとっては当然の指摘だと思えました。なぜならば、ぼくもその気にさえなれば行える手口だからです。ただし、ぼくが受けている神奈川県の監査水準であれば監査官は厳しく指摘するだろうことは想像がつきます。しかし、だからやらないのではありません。そのような手法はその施設を利用する高齢者と、そこに勤務する一般職員を犠牲にして行われます。そんなことをしてまで老人ホームに勤めている気にはならないので、ぼくはやらないだけのことです。

 とは言っても、ぼく自身が自分の資産を投じて(そんなものありませんが)先祖代々の土地を社会福祉法人に提供するなどして経営に携わったらどう行動するか、正直自分自身わかりません。
 「世界」5月号で永和さんが指摘するように、ゴールドプラン以降の特養建設は福祉への情熱を持つ市民による法人設立の道を閉ざし、特定な規模の有力な「資産家」でないと社会福祉法人を設立できない状況をつくりだしました。
 「福祉に対する理念もない土地持ちや金持ちに依存する」(永和論文)法人設立の許認可構造。前厚生事務次官岡光序治被告はまさにその構造の中で特定の有力資産グループとの黒い関係を構築していったわけです。


 永和論文は「非常に幼稚なレベルの低い内容」?

 週間福祉新聞97.4.7号によると、愛媛県老施協は聖カタリナ女子大学学長あてに抗議文を手渡し、「当該施設での現地調査もせず、数字的な推論、憶測のみによって構成された、素人には専門的に見えても、現場関係者からみれば事実誤認も甚だしく、非常に幼稚なレベルの低い内容」と伝えたとのことです。
 永和論文では施設名をあげて指摘してはいませんが、自ら「当該施設」と思った施設が事実誤認というのならば、言論には言論の上で現場関係者の専門性を以て反論と永和論文の批判を行うべきです。
 事実無根だというならば、直近の監査資料を自ら公表しその健全性こそを堂々と主張すべきです。
 それをせずに、永和助教授の所属する大学の実習生の受け入れ拒否をちらつかせて大学長に詰め寄るとは、愛媛県老施協の行動は言論の自由や学問の自由のを論ずる以前の「非常に幼稚なレベルの低い」行動としか言いようがありません。


 「信頼」は情報公開から

 永和論文を支持すると特養ホームの全部が悪徳経営をしてるように誤解される恐れがあるという意見も聞きます。しかし一部にでもそのような事実が存在するのならば、それをただそうとすることこそ老人福祉施設協会の本務でしょう。信じられないような不正が一部の当事者さえその気になれば出来てしまうということは、厚生省前次官自らが証明しています。
 前厚生事務次官岡光序治被告は、あれだけ新聞報道で疑惑を指摘されながらも逮捕前は「潔白だ」と言っていたのに、公判では起訴事実を全面的に認めています。動かぬ証拠を突きつけられるまでは平気で嘘をつき、ごまかしきれないとわかると一転情状酌量に訴える。ぼくを含めてそれが普通の人間なのかもしれません。この現実に目をつぶり建て前ときれい事だけを言っていたのでは日本の福祉の進歩はありません。性善説性悪説などと言っているのではありません。人間は天使にも悪魔にもなれる自由が与えられていると思っています。福祉に携わる人も「人間」です。だからこそ、情報公開を徹底し、第三者がいつでも私たち福祉の現場の実態をチェックできる社会的な牽制体制が必要なのです。
 インターネットと情報公開の組み合わせは、これからの民主主義を変えていく可能性を秘めていると感じています。

 何人かの施設関係者や大学の先生がたからこのページに関する感想をいただきました。
 ありがとうございます。
 

 情報公開等関連原稿 (東京万華鏡承認)


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1997.4.11


 母性社会日本の病理

 こんなこと書かないでいた方が楽でいいのになあ。
 ぼくもそんなふうに思う時があります。

 行政批判なんか書いていて職場で何か事故でもあれば、
 「高橋はインターネットばかりに夢中になって余計な口をたたいているからこんな事故を引き起こした」なんて言われてボコボコだろうな・・・なんて。

 インターネットなんて新しいことにチャレンジなどしないでゴルフにでも夢中になって大過なくすごすことだけをモットーにしていれば、何かあってもさほどたたかれないで済むわけですから。
 他者に甘ければ自分も甘くしてもらえる。これは、介護の現場でも働く心理ですね。
 でも、自分の目に映るもの感じたものは、やっぱり素直に書いておきたい。たった一度しかない自分の人生だからなあ。

 それにしてもこのごろなんだか、日本は本当に大丈夫なのだろうかという漠然とした不安を感じてしまう。
 経済の先行きも、原発も、援助交際も、年金も、官僚システムも、地震も、あ、政治はもともと・・・
 世紀末に彗星なんか来るからかなあ...



 何がどう大丈夫じゃないのだと問われてもわからないから「不安」なわけですが、そういうときはいくら外を眺めても答えは見つからないもので。じゃあ自分は何をしたらいいのかなと思うときに不思議と読みたくなるのが臨床心理学者の河合隼雄さんの本です。

 ぼくが20才代中頃に出会って大きな影響を受けた本のひとつに、河合隼雄さんの「母性社会日本の病理」(中央公論社)があります。
 また久しぶりに読みなおしてみたいと思い本棚を探したのですがみつかりません。なんと悲しいことに茅ヶ崎市の図書館にもないのです。古本屋にでも探しに行くかと思っていますが。

 この本を読んで衝撃を受けたのは、他ならぬぼく自身が母性社会日本の病理の落とし子だったと気づいたからでした。その自己覚知がないために自分の中でいろんな混乱があったのだと気づいたのでした。(気づいても未だ混沌としていますが)
 河合さんの本の内容はぼくのような凡人が語ると、説明しようとすればするほど核心から離れていってしまうような気がします。そんなわけで「母性社会日本の病理」の内容についてはここではあまり触れません。ご一読をお勧めする一冊です。

 そこで手元にあった河合さんのエッセイ集のような気楽に読める文庫本で「日本人とアイデンティティ」を読んでいました。
 なるほどと思えたページの角を折り込んでいたら、読み終えるといたるところ折り込みだらけの本になってしまいました。でもおかげでこんがらがっていた心の糸が少しほどけてきたように思います。

 「親父のアイデンティティ」という章で河合さんは語ります。
 「そして私はよくいうんです。人は、よく昔の父親は強かった、怖かったと言いますが、そんなもんは、ひとつも強くない。本当に強かったのならば、戦争に反対すべきですよ。反対もできないで戦争へ行って死んだだけですから、あんなのは弱かったんです。つまり、突撃するときだけ強いんです。誰かが命令すれば、後は死にもの狂いになって頑張るけれども、命令に反抗する強さは全然もっていないというのが、日本の男なんです。
 つまり、個人として闘うということを、日本人はしないんです。みんな一緒にやりましょうということでやっていくのが、日本人の考え方で、それが悪いとは言っていません。」(「日本人とアイデンティティ」<心理療法家の着想>・講談社文庫・河合隼雄)

 「みんな一緒にやりましょうということでやっていくのが、日本人の考え方で、それが悪いとは言っていません。」
 河合隼雄さんのすばらしさのひとつは、分析し導き出された事実を「善い悪い」で決めつけないところだと思います。(臨床心理学者としての見解ですから当然なのでしょうが)
 しかし、今回の愛媛県老人福祉施設協議会の対応は、「みんな一緒に」が悪い方に作用した事例と言えるでしょう。



 文体がだんだん固くなりますが... (^^)



 朝日新聞の記事では、愛媛県老人福祉施設協議会会長は「地元の大学として地元の施設を非難するのは良くない。」と語ったとされています。さて、「地元」とはいったい何なのでしょうか。
 母性社会(母性原理)の特徴の一つに、「一定の仲間内の関係圏内では全てを包み込み許しあうべきだ」という共通認識が働くことがあげられます。それを「地元」と捉えるならば、この発言は「母性社会日本の病理」の典型と言えるでしょう。みんな一緒にうやむやにと言うわけですから。

 その点で、97.4.1の愛媛新聞社説「県老人福祉施設協議会は頭を冷やせ」の指摘は明快です。
 社説は、愛媛県老人福祉施設協議会の実習生受け入れ「保留」について、「これは、もはや恫喝の類と言っていいだろう。いや言葉が正確でない。言ってみれば人間の尊厳に対する「拷問」である。福祉を担う人たちが取るべきふるまいとはとても思えない。」と言い切っています。
 「地元」の新聞である愛媛新聞の健全な言論感覚に最大級の敬意を表すると供に、「福祉を担う人たちが取るべきふるまいとはとても思えない。」という見方について、福祉従事者としてひとつ付け加えたいと思います。

 ぼく自身、自分に対する批判に接するとき「福祉に携わる人とは思えない」などと言われる場合があります。福祉職に対する期待の現れでしょうが、福祉に従事する者も普通の人間なのです。
 これを「政治に携わる人」や「行政に携わる人(官僚)」と置き換えると見えてくるように、どんなに期待しても不正を行う者はどこの世界にもいるのです。
 だからこそ福祉の世界にも、情報の開示と健全な批判が必要なのです。
 市民の不断な監視があるからこそ人権を擁護する健全な地域福祉が育ちます。市民がそれを専門家に任せきるところから腐敗は始まります。

 また本来ならば老人福祉の専門家のなかからも、今回の愛媛県老人福祉施設協議会の示した態度への批判が行われるべきでしょう。全国老人福祉施設協議会はどう考えるのでしょうか。沈黙を守るならば黙認する事になるでしょうし、県協議会への内政干渉はしない...などという逃げ道は許されないでしょう。
 少なくともぼくは、福祉に従事する個人として97.4.1愛媛新聞社説を支持すると供に、謝罪すべきは愛媛県老人福祉施設協議会であると考えます。

 福祉関係のホームページも日に日に増えてきました。
 福祉関係者の中からこそ健全な批判がなされることを願うのですが...。
 「母性社会日本の病理」は根深いのでしょうか。



 河合隼雄さんの本を読むと不思議と力が湧いてきます。たった一人でも、自分が感じたことはやっぱり発信していこう。...と、だんだん力が入ってまた書いてしまいました。


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1997.4.1


 助愛媛県老人福祉施設協議会が介護実習受け入れを保留

 3月31日の朝日新聞夕刊に、「助教授の『特養論文』に抗議・介護実習『受け入れ保留』」という記事が載りました。

 愛媛県の聖カタリナ女子大学の永和良之助助教授が、岩波の「世界」4月号に「なぜ高齢福祉は腐蝕するのか(上)」を掲載したのが事の発端です。
 
 もうじき5月号に(下)が掲載されますので、それを読んでみないと全体の論旨がわかりませんが、ぼくなりに経過を見守っていきたいと思います。

 「世界」4月号と朝日の記事を読んだだけの今のところの感想ですが、カタリナの学生の実習受け入れを引き合いに結果的に大学側に圧力をかける愛媛県老人福祉施設協議会の抗議の手法に重大な関心を持っています。言論に対する批判は言論で行うべきだと思うからです。

 「ホームの言うことをきかない場合は退所させる」という論法で入居者やその家族にホームの方針を押しつける施設がありますが、人の弱みにつけ込む発想パターンと似ているように感じて気になります。「世界」5月号を読んでからまた書きます。

 1997.4.1、この記事をきっかけに、このコーナー(konogoro.html)を開設しました。


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 論文ではありませんのでインターネットならではの柔軟さを活かして気ままに書き足していくつもりです。
 ファイルは推敲の都度上書きしてしまうので、更新前ファイルのバックアップは保存しておりません。ご意見ご批判は、アクセスした日時とその時点でのテキストのコピーを添付していただくと助かります。
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