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このごろ思うこと バックナンバー 
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このごろ思うこと

感じていることを不定期に書いています
こころコロコロ、いろんな文体が散乱しています(^^;


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もくじ

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[非戦元年(2002年)12月11日] 矢野舜一さん
[非戦元年(2002年)9月11日] 1年前
[戦後57年(2001年)10月15日] 広瀬隆さんの講演会
[戦後57年(2001年)10月6日] ひさびさの、このごろ思うこと


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非戦元年12月11日

 矢野舜一さん

湘南ふくしネットワークオンブズマン
矢野舜一さんの通夜に行ってきました。

茅ヶ崎カトリック教会。
凛と冷えた夜に、
瞬くクリスマスイルミネーション。

持病の心臓の手術を終え、退院後に脳血栓。
意識は戻りませんでした。

 2002年12月10日 帰天

今年の夏に出たSネットの広報誌に
矢野さんは想いを書いておられました。

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矢野舜一(やのしゅんいち)        
前身の湘南ふくしネットワーク・オンブズマンが
結成されてから2 年経過した1999 年4 月、知り合
いの財産間題で助けて頂いたのがきっかけで、
10 人目のオンブズマンを委嘱されました。
考えて見れば、ずぶの素人が、いきなりお引き受
けすること自体、かなり無謀な話であったように思
います。66 歳で宮仕えを終え「定年後をどう生き
るか」に結論が出ず、休日の連続にうんざりしてい
た矢先のお誘いに、生来の横着さが頭をもたげ「ま
あ、歩きながら考えるか」と0K してしまいました。
任期は3 年。1930 年生まれ。任期中に古稀を迎
えることは初めから分かっていましたから、1 期だ
けと自分に言い聞かせて取り組んできました。だが
この仕事、決意だけで勤まるものではありませんで
した。経験を積むほどにその難しさが身にしみま
す。とはいえ、70 有余年の人生を生きて培った生
きざまは、簡単には変えることもできません。
そこで考え方を切替えました。この3 年間の貴重
な経験を、任期終了後にどう活用するかを当面の課
題にすることにして、ぼちぼちと日常業務に向き合
っています。引き際はきれいに、と頭の中で繰り返
しながら。
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カトレアホームでお年寄りの話に
熱心に耳を傾ける矢野さんの横顔が
わすれられません。

矢野さん。
引き際がきれいすぎるよ。

2000年5月24日付朝日新聞   
2000年10月3日付東京読売朝刊 


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非戦元年9月11日

 1年前

あれから1年なのですね。
1年前の翌12日の朝、
羽田空港から広島行きの飛行機に乗りました。
羽田は厳戒態勢でした。

広島平和公園の横にある国際会議場で開催された
福祉関係者の会議に参加しながら、
運命的な思いを感じ、
これから核戦争が起きる予感をうち消せないでいたことを
昨日のように想い出します。

そして今もなお現実はそこへ向かって
進んでいる気がしてなりません。


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戦後57年10月15日

 広瀬隆さんの講演会

10月14日(日)は、広瀬隆さんの講演会を聴きに行きました。
茅ヶ崎市内の市民学習グループ「REN」が主催したものです。

テーマは「燃料電池が世界を変える」でした。

「危険な話 チェルノブイリと日本の運命」ではじめて広瀬隆さんの存在を知り、ロスチャイルドの世界支配や「私物国家」での日本の黒幕の系図などを読むたび知るたびに重い気持ちになっていました。
ですから広瀬さんの話を直接聴けるというこの機会を、楽しみであるとともにじつはあたかもノストラダムスの終末論を聴いてしまうかのような、そんなある種の「覚悟」を持って、ぼくは会場に足を運んだのでありました。

ところが、意外にも講演の内容は肯定的な未来技術の展望のお話しでした。
広瀬さんは午後1時半からなんと4時半までの3時間、途中10分の休憩を入れただけで熱く、そして淡々と語って下さいました。

内容は・・・ぼくがあれこれ書くよりも「燃料電池が世界を変える」をお読み頂けばわかります。
これまた分厚い本ですがとても読みやすいですよ。お勧めです!

遅れて行ったため(午前中は浜で町内会の地引き網大会だった)、空いていた一番前の席に座ったこともあり、休憩時間にはミーハーにも本にサインまでいただき、帰り道は偶然にも出口で一緒になり、茅ヶ崎の駅までお送りしながら二人でお話しをする機会まで得てしまいました。(なんとも悪運の強いことか)

帰り道でのお話しダイジェスト。(文責は高橋にございます)
高「あんな本当のこと書いちゃって身の危険とかないんですか? あれだけの情報を得るにはたくさんの有能なブレーンとかおられるんでしょうね」
広「いえいえ、ひとりで調べてますよ。ひとりでやってるから反対に安全なんですよ」

高「書き表すこともできないとんでもないこともいろいろあるんでしょう?」
広「そりゃあ、もう・・・・」とぐっと息を呑み込む広瀬さん。
そりゃあ、通りすがりのぼくには言えるはずないですよね。

広瀬さんが今最も心配されていることは、この地域での巨大地震。
もうタイムリミットは来ている。
その時の浜岡原発は・・・。
遺伝子組み替えや狂牛病の持つ本当の危険性。
環境ホルモンの危険性。
今回の戦争も日本のメディアはCIA情報の垂れ流しばかり。本当の情報がアメリカ以上に知らされていない日本。
本当の状況を自ら調査し市民に知らせていくジャーナリストが日本にはいなくなってしまった。この状況も日本にとって危機的だと嘆いておられました。

ああ、感謝感激。
地球の落とし穴」で広瀬さんがインターネット嫌いだと知っていたのでちょっと緊張していたのですが、このサイトのURLを書いた名刺までお渡ししちゃいました。

主催者のRENのみなさま、すばらしい講演会をありがとうございました。



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戦後57年10月6日

 ひさびさの、このごろ思うこと

ご無沙汰していました。

ひさしぶりに書く気になれそうな・・・
21世紀の幕開けと混乱。
そんなとき、ぼく自身も17年間勤めた職場を退職し、新たな一歩を踏み出しました。

ぼちぼち書いていけるかもしれない・・・そんな予感です。


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 4頁目
戦後55年9月4日)信頼
戦後54年7月12日)ヤマギシ会
戦後54年5月28日)宗教政党
戦後54年5月8日) 焼き筍 II
戦後54年5月3日) 焼き筍
戦後54年2月8日) 交流の家
戦後54年1月28日) 介護保険・要介護認定におけるコンピューター判定について
戦後54年1月27日) もっと静かに、もっと深く
戦後54年12月5日) 痛み2
戦後54年11月25日) 痛み
戦後53年7月29日) 湘南ふくしネットワーク活動報告集
戦後53年5月7日) 大阪人権博物館

 3頁目
戦後53年3月13日)ナイフと人権
戦後53年2月17日)オリンピックからのメッセージ
戦後53年2月15日)篠秀夫さんからの返事
戦後53年2月13日)焚き火の会とナイフ
戦後53年2月3日)白河育成園事件に関する弁護団声明
戦後53年1月27日)全国福祉オンブズマン会議
戦後53年1月25日)湘南ふくしネットワークセミナーを終えて
戦後53年1月11日)喜納昌吉さん
 2頁目
戦後53年12月31日)白河育成園のこと
戦後53年10月25日)福祉施設での体罰深刻
戦後53年10月7日)立花隆さんの「税金を食べる人」
戦後53年9月23日)永和良之助さんの講演会
戦後52年7月20日)父権復興
戦後52年7月1日)今のぼくと 神戸の事件
戦後52年6月25日)中空構造日本の深層

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戦後52年5月28日)監査の強化が必要なのか?
戦後52年5月25日)永和さんからの手紙
戦後52年5月4日)スウェーデンの社会サービス法/LSS法
戦後52年5月3日)愛媛県老施協「実習保留」取り下げ
戦後52年4月11日)母性社会日本の病理
戦後52年4月1日)愛媛県老施協が介護実習受け入れ保留


CCN茅ヶ崎環境文化研究所福祉オンブズマン


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