(戦後53年3月13日)ナイフと人権
(戦後53年2月17日)オリンピックからのメッセージ
(戦後53年2月15日)篠秀夫さんからの返事
(戦後53年2月13日)焚き火の会とナイフ
(戦後53年2月3日)白河育成園事件に関する弁護団声明
(戦後53年1月27日)全国福祉オンブズマン会議
(戦後53年1月25日)湘南ふくしネットワークセミナーを終えて
(戦後53年1月11日)喜納昌吉さん
ナイフと人権
その後、篠さんとはいろんな意見交換をしたいと思いながらも、ぼくは年度末の補正と来年度予算のまとめで、篠さんは税金の申告で、おたがい憂鬱な日々を過ごしています。
そんな中、湘南ふくしネットワークも発足後初めての年度末総会を控えて、運営委員個々に一年の総括を出そうということになり、下記のような感想文を書きました。
ちょっと気負った文章ですが (^^; こんな事を書いていた矢先に、篠さんから「Subject: 腹が立った」というメールが来ました。---------------------------------------------- 1997年8月、湘南ふくしネットワーク・オンブズマン委員会による加盟8施設への施設訪問(見学会)が行われた。オンブズマン導入・一年を振り返っての感想文
カトレアホーム訪問後のオンブズマンによる感想文冒頭には、「ショートステイの利用者のモニター(テレビカメラ監視装置)は問題あり。もし必要であれば本人及び家族に了解を得るべきである。」とのコメントが記載されていた。私自身も確かに問題を含んでいるとは気づいていた。しかし、しかしなのである。現場のことを理解すればするほど、現実の必要性に流されてしまうのだ。
カトレアホームにはショートステイ専用室がなく、静養室の空きベットを利用している。静養室は夜間になると、夜勤介護者の詰め所からコの字型に折れた廊下を45メートル隔てた位置にあり、構造的には音すら聞こえない全くの死角になっている。
「本人及び家族に了解を得る」というのは、ある一面現場では簡単な事なのだ。なぜならば、モニターを使用する必要のある利用者は、「了解を得る」ということの判断能力になんらかの障害を持つ方である。日本の慣例としてそういう場合家族に承諾を得ることになる。しかし「事故が起きてはいけないので夜間はモニターで監視してもいいですか?」と職員が聞いて、「事故が起きてもかまわないから監視しないでくれ」という家族はほとんどいない。ここで問題なのは、「本人及び家族に了解を得る」というような手続き上の問題などではない。
テレビカメラで監視されているという状態なのだ。
個人の生活を他者が常時監視すること。
そのこと自体が人権上の問題なのだ。具体的な解決先が見出せないままでいた98年2月の深夜。
ショートステイの利用者がモニターの死角から一人でベッドを出て、廊下で転倒していたという事故が起きた。
幸い大怪我には至らなかったが、お年寄りに痛い思いをさせてしまったと、その日の夜勤者は今でも悔やんでいる。
頻繁に見回りに歩いていても、モニターで監視していてもその間隙を縫って事故は起きてしまう。ベットから寝ぼけて出てきて転倒してしまう可能性のある利用者の安全を完全に保障するには、介護者が片時も目を離さず付き添う他に方法はない。
50人の要介護高齢者を2人の夜勤者で介護せよという今の人員配置基準ではそれは夢物語だ。
人権を保障するためにモニター監視を止め、かつ安全を保障するには、方法はひとつしかない。
夜間はベッドから出てこない利用者しか受け入れないようにすることだ。
しかしそれも現実的には無理な話だし、福祉施設の運営理念にも反することだ。かくして人権とは、物事を整理し社会をスムーズに動かす概念などではないということが見えてくる。ましてや、人権さえ確立すればすべてがうまくいくというような魔法の法則などではない。それどころか物事の矛盾を拡大し、よけいややこしくする概念なのだ。
だから人権などというようなものは役に立たない、という声が聞こえてくる。「人権概念は日本の土壌になじまない」などと言って避けて通ろうとする人もいる。しかし、それは臭いものに蓋をして問題解決から逃げる言い訳に他ならない。
現場の現実と人権概念の矛盾を承知していても、現実に流されることなく、徹底的に利用者の立場に立ち、問題提起と異議申し立てをつきつけていく緊張関係。そこからしか制度や現実の変革のエネルギーは生まれてこない。
現実の必要性に流され、気づきながらも目をつぶってきたことや、当然と思いこみ気づきもしなかった問題を、客観的に第三者の目を通して検証していくシステムこそが必要なのだ。
答えや目に見える効果がすぐに表れなくとも、目の前の利用者の権利擁護をひとつひとつ大切に積み重ねていく。それが、湘南ふくしネットワークのオンブズマン活動なのだろう。
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先日篠さんは、そのメールを「持ち物検査」について というタイトルでご自分のホームページに掲載されました。多くの方にぜひ読んでいただきたい、篠さんの意見です。ここにからリンク(http://www.netlaputa.ne.jp/~EZNENE/tubuyaki.html#mochimono)します。
オリンピックからのメッセージ
篠さん。メールありがとうございます。
いまね。日本も大丈夫なんじゃないかという気がしてるんです。
同じパターンがサッカーでもありましたよね。
日本人のみんなの意識があきらめに向かったとき。
このあいだ、ぼくの職場に、小学校の5年生の子ども達が来たんですよ。
「もののけ姫」の歌をお年寄りのアンコールに応えて、何度も歌ってくれたんですよ。
地球は大丈夫かもしれないって。
夜明け前が一番暗い。
選手達は、今を信じていたんだと思います。
篠秀夫さんからの返事
ぼくは、篠秀夫さんのこのページを読んだのがきっかけで、2月13日付け「このごろ思うこと」を書きました。
ぼくもこんな事を書きましたよと、篠さんに連絡したところ、早速2本のお返事メールを頂きました。
焚き火の会とナイフ
1月25日に書いたとおり、篠秀夫さん主催の「焚き火の会」に参加しました。
中学生の子ども達も、ナイフ片手に竹細工に精を出しました。ナタ、ノコギリなども使えないと遊べません。「焚き火の会」ですから火遊びもできます。
さて、ここのところ気になっているのですが、教育の専門家と称する人たちによる刀狩りや持ち物検査など、子ども達との信頼感を根底から崩すような小手先の対策を見ていると、よりいっそう新たな弊害を招きそうで心配でなりません。
ぼくには教育の事はよくわかりません。いつものぼくの直感ですが、いま、子ども達は、仮想現実の世界と、肉体レベルの現実の世界のバランス感覚を失っているのではないかという気がしてなりません。いえいえ、他人事ではなく自分の問題なんですが・・・
昨年1995年の暮れ、ぼくはパソコンとインターネットの世界に出会いました。当時ぼくは、パソコンを思い通り扱うことができるようになり、インターネットを通じて、バーチャルリアリティなどと言われる、地球を取り巻くもう一つのネットワーク世界との行き来が始まりました。
さて、この仮想の世界と現実の世界、これを結ぶ媒介として、ディスプレイの存在があります。前述の体験をふまえて、ぼくは特に、ビデオゲーム(ファミコンやプレイステーション等と呼ばれるテレビ画面を用いたゲーム)の持つ影響力が気になってしかたありません。
「ロールプレイング」とは、ルーマニア生まれのアメリカの精神病理学者モレノ(Jacob Levy Moreno 1892―1974)が、サイコドラマ・心理劇を用いた心理分析の手法としての基礎を築いたといわれ、もともとは心理療法の技法でした。心理劇的、集団治療法として利用されているこの技法には、習熟したトレーナーのサポートが不可欠だといわれています。なぜならばロールプレイングから生ずる役割葛藤は、人の心の奥深くまで影響を及ぼすパワフルな技法だからです。
心理療法領域のロールプレイングは、演劇療法や遊戯療法など実際の身体の世界の中で行われます。つまり、心と身体で体験して気づいていく世界なのです。しかし、ビデオゲームはディスプレイという映像の仮想空間の世界です。ディスプレイの世界は、なんら実体を持たない、まさに仮想現実そのものなのです。仮想現実の世界は、リセットすればそれで終わりです。データを削除すれば振り出しに戻る世界です。このような仮想現実と共存する世界は、未だかつて人類の経験したことのない環境なのではないでしょうか。
ポケモン失神事件は、単なる光刺激テンカンではなく、ディスプレイに映し出された仮想現実の刺激が、ストレートに現実世界の肉体レベルに到達した現象ではないかと感じています。(もちろん詳しい調査をしてみないとわかりません、単なる直感、ひとつの仮説です)
いま、日本は、「心」の世界と「身体」の世界の境界線を見失っているのではないでしょうか。仮想現実と現実の世界の境界線を自らコントロールできない人々が多く出現してきている。あちらの世界と現実の世界を無意識に漂うように生きている人たちが出現してきているとも言えるのではないでしょうか。
「透明な存在」を訴えた神戸の14才の少年は、人の首を切断するというあまりにリアルな現実の世界に自分を置くことでしか、人間のいのちの存在を実感できなかったのではないか。漫画やアニメ、そしてホラー映画などでも非常にリアルな首切りシーンは出てきます。しかしそのようなおどろおどろしい世界は、世界の古典的な昔話や神話の中にもたくさん出てきます。首をはねたり、人を食べたり、皮を剥いだり・・・そんな物語は今に始まったことではありません。
いまここで、ぼくはビデオゲーム狩りをしろと言っているのではありません。
・・・あれあれ、また長々と書いてしましました。「焚き火の会」の事でしたね。
白河育成園事件に関する弁護団声明
札幌の岩渕進さんからメールを頂きました。
「白河育成園虐待事件を許されざる教訓として」と題する資料公開の前書きからは、岩渕さんの熱い思いと決意が伝わってきます。
全国福祉オンブズマン会議
おおっと、「全国福祉オンブズマン会議」の案内ページがさっそく出来上がりました。
湘南ふくしネットワークセミナーを終えて
昨日、湘南ふくしネットワークセミナーを終えました。参加者は250人でした。インターネットを見て兵庫県からお越し下さった方もおられました。
さて、お次は、2月8日の「焚き火の会」が楽しみです。いえいえ、人権の関係ではなくて、茅ヶ崎市内で造形教室をやっている友人の篠秀夫さん主催のイベントです。ぼくにとって篠さんは、茅ヶ崎環境文化研究所の活動(?)につながる大切な仲間の一人です。
喜納昌吉さん
広瀬隆さんの「私物国家」(光文社・ISBN4-334-97153-9C0095)を読みながら年を越しました。ありとあらゆる利権に、網の目のような閨閥の糸が張り巡らされているのですね。
東京万華鏡に喜納昌吉さんと高野孟さんの対談が載っていました。
ぼくは彼の社会変革に関する直感的な表現が好きです。
久々の雪かきをしながら、そんなことを思ったのでありました。
このページは、掲載後も思いついたことや気づいた事を随時書き足したり推敲したりしています。論文ではありませんのでインターネットならではの柔軟さを活かして気ままに書き足していくつもりです。
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戦後53年2月17日
オリンピックのジャンプ、すごいですね!(話題が突然変わっている)
今のこの時期に、「からだ」の世界のオリンピックがこの日本で開催されて、シラケムード、どうせムードの日本が、燃えたじゃないですか。
もうだめだ。どうせ日本は。
選手達は、スポーツマン達は、「あきらめなかった」
教育だって、政治だって...。
生き活きしていてね。
そのとき、ぼくは思ったんです。
こいつらがいるなら、
日本は、大丈夫かもしれない。って。
今を信じたいですね。
戦後53年2月14日
さすがに篠さんらしい面白い(わかりやすく意味深い)見解なので、篠さんの許可を得て、その返事メールを掲載します。ご興味があればこちらをご覧下さい。
戦後53年2月13日
その日の模様は、篠さんが写真アルバム(かなり重いですが)を創っておられますのでご興味があればご覧下さい。
竹でトゲをさしたり、火でヤケドしたり。子ども達はいろんな痛い思いを体験しながら、心と身体を成長させていくのでしょうね。
荷物検査におけるプライバシー問題や、検査しない事で生ずる安全に過ごすための権利の侵害論など、どうも視点が違うように思うのですが、教育の専門家たちは、どうもそんなことばかり研究しているようです。
睡眠時間は毎日3時間ほどで足りました。というか、インターネットの世界が面白くて面白くて寝るのがもったいなくなり、疲れ果てて寝入っても、夢の中で、インターネットを使った様々なコンテンツが浮かび、またすぐ目が覚めてしまうのです。世に言う「はまった」状態というものなのかもしれません。
その頃ときどき陥った感覚で、不思議な状態がありました。
コンピューターと向き合っている時に、自分の部屋に自分一人だけで居るにも関わらず、周りに多くの人がいるような気がしてくるのです。人の気配がするとかいうのではなく、多くの人と常時つながった状態でいる気がするのです。
気をずっと拡散した状態でいる・・・とでもいうのでしょうか。
この仮想現実の世界は、自分の意志の拡張を意味していました。自分の意志がキーボードを通じて文字や画像などのコンテンツとなり、世界へとつながっているのです。
もちろん、世界各国の人が自分を注目しているわけではありません。しかし、世界と「つながっている」という実感は、ぼくの中で大きな存在意義を持ちました。・・・表現が飛躍してますね。(いつものことですが)このへんの感覚は、なかなか言葉では表しにくいのですが・・・。
いえいえそれは単に、殺人や暴力などを題材とした残酷なゲームだから問題なのだ、という直接的な理由ではありません。
ビデオゲームは、子どもや大人を惹きつけて「はまった」状態をつくりだします。そのビデオゲーム面白さの特徴は何かといえば、それは「ロールプレイングゲーム」の醍醐味を味わえるというところにあると言えるでしょう。
ぼくは相談業務などの対人援助の仕事をしている関係で、心理学的な技法を用いた人間関係トレーニングなどを受ける機会がよくありました。そのようなトレーニングの中でもロールプレイングは、ぼくに大きな気づきを与えてくれた技法のひとつでした。そのパワフルなロールプレイングが、ビデオゲームの出現とともに、まだ心と身体の自己同一性を確立していない子ども達の間に爆発的な広がりを持ったのです。
近年のコンピューター技術のめざましい進歩は、コントローラを持つ人間に、あたかもゲームソフトの主人公になりきって、意のままにゲームの物語の世界に介入していける高度なプログラムを可能としました。
ロールプレイングゲームは、この「なりきる」ことで成立するゲームなのです。
ビデオゲームは、指先のテクニックではありますが、それを操る指先は、脳、つまりは人間の心と直結しています。これは、キーボードをブラインドタッチで操る状態と似ていますが、指先の動きを意識しなくても、無意識のままに、自分の思いを電脳空間に伝達できるのです。
ヒット商品の「ファミコン」や「たまごっち」を生んだ日本で、ポケモンのピカチュウがたくさんの人の肉体に衝撃を伝達した事実は、日本人の心と身体のアンバランス状態が臨界点に近づいている事を示している出来事のように思えるのです。
ところが今までそれらは、人間の心の中の深層の世界の出来事に留まっていました。これを現実の世界に持ち込んではいけない世界だということは、子ども達でも充分わかっていたのです。
空想の世界を遊ぶのも大いに結構です。しかしその対局にある、身体を感じ、身体に宿る心の声に耳を傾ける、そんな実際の体験が、いまとても必要な気がします。
篠秀夫さんがテーマとして求めていることは、今の公教育に欠けている部分、身体に宿る心の声に耳を傾けようとする実践の場を創ることなのだろうと、ぼくは勝手に思っています。
「春一番の烈風の中、ぼくは茅ヶ崎環境文化研究所研究員として参加しました??(^^)」なんて、インデックスページに書いていたので、ついつい理屈っぽくなってしまいました。
戦後53年2月3日
岩渕さんが発信されているホームページに、白河育成園事件に関する弁護団声明等の資料が掲載されました。
このような資料が、地方地方に点在する一市民によって公開されていく。そんな時代が来たのですね。
この資料がインターネット上にデーターベースとして存在していることは、事件を風化させず、今後の教訓として活かしていけますし、全国の同じようなことで苦しんでいる人たちの道しるべにもなります。とても大きな意味を持ちます。
戦後53年1月27日
すっごい内容ですねえ。これは早く申し込まないと!
戦後53年1月25日
永和良之助さんとも久しぶりに飲みました。すばらしい仲間達に出会えて、ぼくは幸せです。
また3月には、28日29日の土日にかけて、神奈川県社会福祉会館に全国の福祉オンブズマンが一同に集まり、全国福祉オンブズマン会議が開催されます。とても楽しみです。詳しい案内は、またインターネット上でもお知らせできると思います。
戦後53年1月11日
福祉の現場にいるものにとっては、「厚生省汚職と自治体汚職の利権閨閥(系図8)」がとても参考になりました。この系図をひらいて福祉行政をみてみると、いままで腑に落ちなかったことの背景が見えてきす。ま、解釈はいろいろあるでしょうが、高橋イチ推しの本です。
ぼくは20才代の頃、喜納さんのコンサートの手伝いをしたことがありました。
対談の中で喜納昌吉さんは語ります。
「破壊のスピードを創造のスピードが追い抜くことが出来れば、コントロールする力が出てくる。その境目にいま立っている。」
そうですね。やっぱり、ぼくはぼくの目の前の、等身大の現実を創っていくしかないですね。
今ある現実を壊すことにエネルギーを向けるのではなく、ぼくにできるところから、あらたに別のものを創っていこう。湘南ふくしネットワークセミナーも そのひとつになります。
今年もクリエイティブに動いていきます。P.S 福島県西郷村の知的障害者施設「白河育成園」(渡辺留二理事長)に関する一連の報道については、三重大学医学部の医学関連ニュース等に資料があります。
ファイルは推敲の都度上書きしてしまうので、更新前ファイルのバックアップは保存しておりません。ご意見ご批判は、アクセスした日時とその時点でのテキストのコピーを添付していただくと助かります。
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高橋健一
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