このごろ思うこと(4頁目) http://www.NetLaputa.or.jp/~kent/konogoro.html   
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このごろ思うこと

感じていることを不定期に書いています
こころコロコロ、いろんな文体が散乱しています(^^;


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もくじ

 ここは4頁目です

上ほど新着のページ内リンクです

戦後55年9月4日)信頼
戦後54年7月12日)ヤマギシ会
戦後54年5月28日)宗教政党
戦後54年5月8日) 焼き筍 II
戦後54年5月3日) 焼き筍
戦後54年2月8日) 交流の家
戦後54年1月28日) 介護保険・要介護認定におけるコンピューター判定について
戦後54年1月27日) もっと静かに、もっと深く
戦後54年12月5日) 痛み2
戦後54年11月25日) 痛み
戦後53年7月29日) 湘南ふくしネットワーク活動報告集
戦後53年5月7日) 大阪人権博物館


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戦後55年9月4日

 信頼

久しぶりになるほどと思い、自らを省みる機会を与えてくれる記事に出会えました。

9月4日 朝日新聞 夕刊、文化・検索キーワード 「信頼」

日本の「仲間内」での「安心」は、「よそ者」への不信が裏にある。
これは河合隼雄さんが日本の母系制研究の中で指摘していましたが、なるほど今のリストラ社会にもこのように反映しているのですね。

夫婦、親子の関係までがソドムの次元に墜ちたかにみえる平和な日本。
そこに充溢する漠然とした不安が危機感を煽り、周辺事態法、国旗国歌法、通信傍受法、住民基本台帳法・・・戦争準備法の整備へと進む日本。
「安心」を求めるが故に、その一つひとつを確かめながら生きている自分に気づきました。

記事を書いた村山正司さんは、以前権利擁護関連のシンポジウムでパネラーとして同席したのを縁に、ぼくの職場へ取材にみえ、茅ヶ崎環境文化研究所にも立ち寄ってくれた知人です。会ってお話ししたことのある人の記事だから、行間に込められた彼の思いを感じたのかもしれません。

 

戦後55年、久々の「このごろ思うこと」でしたが相変わらずの説明不足、独りよがりの新年の所感ですね。(^^;



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戦後54年7月10日

 ヤマギシ会

ぼくの「生活歴」をご覧になった方からだと思います。「ヤマギシには近づかない方がいいですよ」というSubjectのメールをいただきました。

最近のテレビ報道などをみて気にかけて下さったようです。ご意見ありがとうございます。

ぼくがヤマギシ会におじゃましたのは、かれこれ20年も前の事です。今のヤマギシがどうなっているかはよく知りません。しかしそれ以前もそれ以降も繰り返し批判報道があったことは記憶しています。

ヤマギシ会は確かにカルトだと思います。しかし、いま私たちが暮らしているこの社会も、ある意味ではひとつのカルトなのです。「カルトだから危険」という短絡的なレッテル貼りは、54年前の「非国民」の烙印と同じ過ちを犯す危険性があります。ここでは「破壊的カルト」であるか否かを明確にする必要があります。

戦前の日本社会は、「破壊的カルト」でした。その総括を明確に行わないままに、いままた日本は同じ道へ向かい始めています。
戦前の日本の姿勢を総括しようとする事を「自虐的」だと言ってはばからない考え方と、何ら総括を行わず今だ活動を続けるオウム信者との相似性を強く感じます。


「破壊的カルト」については、「マインドコントロールの恐怖」(スティーブン・ハッサン 恒友出版 ISBN-7652-3071-6)が参考になります。

参考:日本イエス・キリスト教団函館中央教会牧師長田栄一さんの カルトセミナー
http://www.host.or.jp/user/church/cult.htm



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戦後54年5月28日

 宗教政党

1919年に公布され、近代民主主義の礎を築いたと言われるドイツ共和国のワイマール憲法は、1933年首相に任命されたヒトラーによって事実上形骸化され、機能を停止します。

ワイマール憲法のような民主的な憲法がなぜヒトラー政権を誕生させてしまうのか。
その背景には、議席は多くはありませんが政権のキャスティングボードを握る宗教政党の動きがありました。ドイツではそれはキリスト教政党でした。

宗教政党は、信仰の自由と信者の拡大を優先して判断する傾向を持っています。
そこでは、平和や福祉を党議として掲げていても、ひとり一人の信者が純粋にそれを希求していても、実際には政治課題の固有な価値判断より、信仰勢力拡大の為に力を誇示しようと「勝ち馬に乗る」ことを優先してしまうのです。
特に、宗教を思想的に否定する共産党が躍進する時期にその傾向は強まります。
ドイツではそうでした。

周辺事態法、盗聴法、日の丸君が代、破防法改正・・・。
今の日本は、どこへ向かっているのか。

1929年アメリカで恐慌が起こると、アメリカ資本に依存してきたドイツ経済は大きな影響を受け、財政難は民主政権の基盤を揺るがし、ナチス党ヒトラー政権の道を開きます。

今の日本に似ている気がしてならないのです。



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戦後54年5月8日

 焼き筍 II(やきたけのこ II)

篠秀夫さん達と「焚き火」というメーリングリストでお付き合いしています。
MLメンバーのお一人から、
 
> 焼くときに筍を縦に立てて焼くそうです。
> そうすると、アクなどが切り口から抜けやすくおいしく焼けるそうです。
 
とのアドバイスをいただきました。
ふむふむ、たしかに理にかなっているぞ。
 
ぼくはただ炭火の中に放り投げただけでした。
筍は、みんな寝てたな。(^^;
 
またやんなくちゃならなくなっちゃった。
8日は仕事とかが入ってるけど、
9日の日曜は、晴れそうだな・・・! むむむ。


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戦後54年5月3日

 焼き筍(やきたけのこ)

 連休ですね。

 たまった仕事を棚上げして、昨日2日は茅ヶ崎環境文化研究所で久しぶりにゆっくりしました。自転車で15分の所です。

 時期的にはちょっと遅かったのですが、でもおかげで小振りなのが多く・・・?
長靴の先で落ち葉の中を探ります。
うん、たけのこ掘りをしたのです。

 小振りな筍を、そう、焼いて食べるのです。
役所広司のビールのCMを見て以来、「今年は必ずやってやる」とコミットメントしていました。(おおげさやな)

 皮をむかずに掘りたてをそのまま炭火に投げ入れます。
網の上ではお肉がじゅうじゅう。ビールをクイッ〜と。
昼間っから外でのビールは格別です。うひゃ。
あ、でも、あのCMのビールではなかった。

 そんなこんなで、自分自身が出来上がった頃(?)、
筍も焼き上がります。
焦げた外皮を剥くと、中からあまい初夏の香りが立ちのぼります。
うすく切って、・・・
う〜ん、あとは書きあらわせない。。。うふふ。

 

 そして今日3日は憲法記念日です。

 きな臭くなってきています。
日本固有の風土と文化を誇りに思えばこそ、ぼくは日本の平和憲法を支持します。
カイドラインなんて結局またアメリカの言いなりじゃないですか。
永田町の論理とやらはからきしわかりませんけれど、平和憲法を持ちこの経済力を持つ日本。世界の中で日本にしかできない平和外交のフィールドがあると思うのですが。

 昼過ぎ、茅ヶ崎西浜の海を見にいきました。
今日はすこし潮風が強かったけれど、浜辺を歩くと呼吸がゆっくりと深くなるのはどうしてだろう。
「このごろ思うこと」4頁目も、長くなったと思ったらもう一年なのですね。この一年、あわただしさに、大切なものをいくつも置き忘れてきたような気がします。でも、そのときそのときはいつも精一杯でした。
砂浜にすわると、すこしだけ自分を取り戻せたように思います。
戦後54年。
この穏やかな時の流れを いつまでも大切にしたい だけなんです。



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戦後54年2月8日

 交流(むすび)の家

交流の家のホームページを見つけました。

ああ、なつかしいなぁ。

20年も前の事です。
ぼくが、はじめて奈良の大倭紫陽花邑(おおやまとあじさいむら)を訪ねたとき泊めて下さった、飯河四郎さん梨貴さん。

20才代の頃は幾度となく、大倭紫陽花邑を訪ね、お二人にお世話になりました。
あの頃は、どういうわけか関西への出張が多かった。そんな行き帰り、何をするというわけではないのですが、毎年のように大倭に立ち寄りました。

はじめて訪れたときから、またいつ行っても、なぜか ふるさとに帰ったような、不思議な懐かしさを感じる邑なのです。
交流の家の2階だったな、邑の友人と飲み明かし、翌日は二日酔いで一日中寝ていたこともあったっけ。
そんな時の梨貴さんの睨みは、ちょっぴり恐かったな。

飯河四郎さんが亡くなられたという話しは、そう、4年前に群馬県にお住まいの森幹郎先生をお訪ねしたときに、森先生から聞いたのでした。
森先生は若い頃、ライの療養所に勤務し、後に厚生省の老人福祉専門官、その後長野大や奈良女子大で教鞭を執られました。
森先生が大倭紫陽花邑のことを知っておられて、お互いにびっくりしたのを思い出しました。

ぼくの気になる人、会ってみたいと思う人になぜか大倭紫陽花邑との接点を持っている人が多くて不思議です。類は友を呼ぶというものなのでしょうけれど・・・。
栃木の高橋鉱一さんもそうですし、北海道から屋久島、沖縄まで、いろいろ歩き回りましたが、大倭紫陽花邑との関わりで意気投合し一宿一飯の恩義を頂いた方々が沢山おられます。
大倭紫陽花邑を訪ねる者達を時空を越えて結んでいく。 交流の家は、まさに「むすび」の家なのです。

飯河梨貴さんも97年11月25日に永眠されたのですね。
お役目ご苦労さまでした。

11月25日は、ぼくの親父の命日でもあるんです。ま、365分の一の確率ですから、何の意味もないのですが。。。でもぼくは何かの縁を感じてしまうのですよ。単純だから。

今年は、大倭紫陽花邑に行きます。
きっと行きます。

お二人に、会えますよね。



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戦後54年1月28日

 介護保険・要介護認定におけるコンピューター判定について

< なぜ一次判定のコンピュータープログラムを公開しないのか >

こちらへ移しました


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戦後54年1月27日

 もっと静かに、もっと深く

 世界を動かしているのは、政治ではなくて、経済なのだ。
 誰かがしたり顔でよく言うセリフ。

 お金は、資本主義、共産主義を問わず、人類の癌なんじゃないだろか。
 なんてこと、ミヒャエル・エンデも言っていたような気がする。

 「お金」以外の価値交換手段を探し出すなんて、現代に生きるぼくらには夢物語なんだろうか?
 そんな思いに、何かヒントを見出せそうな気がして、昨年末、栃木を訪ねました。

 1998年12月13日。
 栃木県塩原町にある特別養護老人ホーム「生きいきの里」
 施設長の高橋鉱一さんにお会いしたくて。

 以前から鉱一さん(ぼくと同じ姓なので名で呼ばせていただきます)のお名前だけは知っていました。
 弁護士の副島洋明さんが主催した集会で、鉱一さんは特養施設長の立場で基調講演を引き受けられました。
 あの、熱血弁護士、副島洋明さんが出会い、絶賛する人。
 会場で、偶然ぼくの前の席に着席され、自然に挨拶を交わせた人。
 高橋鉱一さん。
 講演の後、著書の「私家版老人ホーム論」(筒井書房・ISBN4-88720-168-0 C3036 P1751E)を読み、「生きいきの里」を訪ねたくなったのです。

 「生きいきの里」の様子は、「おはよう21」(中央法規出版)の98年3月号、おはようウォッチングに紹介されています。「生きいきの里」の雰囲気をとてもわかりやすく伝えているレポートです。
 ぼくはこの記事から、鉱一さんが求めているのは「共同体」(コミューン)なのではないかと感じていました。
 実際に訪問してみて、「生きいきの里」での鉱一さんの生き方は、まさに「共同体」そのものでした。
 介護する側でもなく、介護される側でもなく、対等に、その人の横に並び立つ鉱一さん。彼はそこにおられました。

 「共同体」とは、ぼくが20才代の頃に出会った憧れの世界でした。生活歴の中でも触れましたが、ぼくが探し求めていた理想の人間関係や生活環境の雛形です。
 実際には日本各地に点在する様々な共同体ごとの特徴や違いはあるのですが、同じ釜の飯を食べ、私有財産を持たず財布ひとつでという意味では原始共産制のような関係性です。
 
 ぼくが訪ね、一番しっくりときた共同体は、奈良の近鉄奈良線学園前にある大倭紫陽花邑でした。
 鉱一さんは、その大倭紫陽花邑の敷地内にある福祉施設の施設長をされている岸田哲さんの親友でした。ぼくは20代の頃よく大倭紫陽花邑を訪ね岸田哲さんにも大変お世話になりました。
 またぼくが20代に出会い、大きな影響を受けた横浜市大の加藤彰彦さん(筆名:野本三吉・当時は、横浜市の福祉職でした)や、著書で大きな影響を受けた東大の真木悠介さん。彼らとともに鉱一さんは「共同体」の研究をなさっておられたことを知りました。
 また、本や講演では触れておられなかった、インドやイギリスでの原体験の貴重なお話もうかがえました。

 那須から帰り、真木悠介さんの「気流の鳴る音」(筑摩書房)をあらためて読み直しました。今でも新鮮な本です。(この本は図書館でしょうね)

 しかし、今のぼくの現実と、鉱一さんの生き方は、あまりにかけ離れた現実です。
 ぼくが福祉の現場で、ひとつひとつ諦め、目をつぶってきたことの全てが、鉱一さんを取り巻く那須塩原の地にあった。そんな気がするのです。

 彼が居る。
 そこに居る。
 その存在は、これからのぼくに大きな影響を与えます。

 今回は、かなり自己完結的な散文ですね。
 これじゃあ何を言ってるのか、伝わらないですね。
 もう少し詳しく書こうとしていたのですが、いつまでも未完成のままなので、もう表しちゃいます。
 インターネットだから、気が向いたら書き足します。
 人の出会いって、おもしろいな。 ...って思ってます。

 「もっと静かに、もっと深く」
 鉱一さんの言葉です。



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戦後54年12月5日

 痛み2

 先日、あるMLにぼくが投稿したものです。
 ここに再掲してみます。

 どうやら、今回のページは、モモ特集の趣を呈してきました。

 いまこそ、エンデなのかな。
 一度、お会いしてみたかったな。講演を聴くだけでも。 

 

「すざましい競争社会をいい加減に離れたほうがいい。
もっともらしい肩書きとか多少の名誉を失ったかわりに、
何か大事なものを得ることが必ずできる。
一寸先に光明は必ずあります。」
数日前の新聞広告に載っていた山田洋次監督のメッセージです。

「そうだよな〜。もう組織なんてもの放り投げて、自分の夢をぼのぼのと
追いたいよな〜。」
・・・などと、じんわり心に滲みてくる言葉なのでありました。
でも山田洋次さんは、映画監督なんて最高に面白そうな仕事していて
そんなこと言ってるんだからずるいよな、とか思うのですけれど。

ぼくの勤めている職場は、職員50人程度の小さな福祉の現場です。
非営利組織なので、たしかに一般企業のような「競争社会」とは異なった
環境です。
でも、まじめで一生懸命働く職員の中には燃え尽き症候群とか、
バーンアウトとか言われるように、疲れ果てて現場を去っていく人たちが
います。
仕事そのものが自己実現に直結するかにみえる福祉の現場であっても
自分自身の暮らしかたや、人生の展望をあやふやなままにして、
ただ目の前の人に対して一生懸命支援をすればいいということだけでは
すまないような気がします。

また最近、介護保険導入前夜の状況の中で、社会福祉法人も
「競争」の荒波が到来すると言われ、多くの施設経営者達が危機感を持っています。
病院経営のノウハウを持ったコンサルティング会社による社会福祉法人
経営に関する研究会も盛んになりました。
ぼくも何回か研修や研究会に参加しましたが、なんだかどこか
付け焼き刃のようで釈然としないのです。

話は、全く飛躍するのですが、ミヒャエル・エンデの「モモ」という児童文学書が
あります。
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/11/6/1106870.html
そこに登場する「灰色の男」は、「時間の節約」を煽り、街の人々から
それぞれが固有に持っていた自分自身の時間をだまし取っていくのですが、
なんだか経営のノウハウの話を聞いていると、納得すればするほど
自分自身がその「灰色の男」になっていくような気がしてしまうのです。
ごめんなさい。本を読んだことを前提として、感覚的な話をしても
わかりませんよね。

これから先が書けなくなっちゃったので、今日はこの辺にしておきます。
近況報告まで。



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戦後54年11月25日

 痛み

 いま気になる感覚として、「生きる 息る」があります。

 呼吸って、自分と宇宙のつながりを感じる神聖なものです。
 その呼吸が、最近どうも乱れていて。ぼくのことです。

 98.11.22日経(朝日じゃなかった!(^^;)新聞のウエーブ「痛み失う現代文明・異物排除し生の実感奪う」を読んで、以前自分で書いていた「焚き火の会とナイフ」と「生活の質とは?本当の豊かさとは?」を思い出しました。

 ミヒャエル・エンデの「モモ」も思い出しました。

 なんとなく、地下水脈でつながっているような・・・そんな気がして。

 社会の急激な変化と再構築の流れの中で、他者や、自分自身に対する痛みを見失わないように、ゆっくり呼吸をしていきたいと思う今日このごろです。



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戦後53年7月29日

 湘南ふくしネットワーク(初年度)活動報告集

 表題の報告集が刷り上がりました。
 湘南ふくしネットワークの公式ホームページへの掲載は、担当の鈴木さんが多忙でHTML化のめどが立っていません(→ あ、更新されている! 98.8.13)。
 印刷バージョンの方は67ページの冊子で、一冊500円で頒布しています。
 申し込み、問い合わせは、湘南ふくしネットワーク事務局(TEL 0467-52-5197)へ。

 省みれば、授業を引き受けてから、ものが書けなくなりました。仕事が忙しかったこともあるのですが、エネルギーにバランスシートがあるとすれば、ぼくの自己表現のエネルギーは授業の組立で精一杯だったようです。
 宮沢賢治は、授業で疲れたことは一度もないと語っていますが、凡人のぼくは、正直、疲れました。
 でも、いやな疲労感はありません。夏休み明けにあと3回の講義を残すだけとなりました。この夏休み、じっくりエネルギーを吸収するつもりです。

 7月26日、実行委員の一人として加わった「ぼのぼの共和国・ベアフット・フェスティバル」に、教え子達の有志が来てくれました。記念写真です。
 ベアフット・フェスティバルの模様は、[CCN]のメンバーが「ぼのぼの共和国」公式ページを制作中です。近日中にカトレアホームページからリンクすると思います。

 忙しいけど、面白いことばかりです。
(# ...と、ここには書いておこう。辛いことも沢山あるけどさ。。。)

 茅ヶ崎は蝉しぐれでいっぱい。既に梅雨明けのようです。
 暑くなります。皆さまご自愛を。

 


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戦後53年5月7日

 大阪人権博物館

 灰色の男(「モモ」の時間泥棒)と契約しているつもりはないのですが、ここのところ妙にいそがしくなりました。心のどこかに時間泥棒がいるのかな…。(^^;

 98年4月の半ば、大阪にある大阪府同和地区総合福祉センター在宅サービス推進室から「介護システム研究会」に招かれました。
 ぼくは現場での体験しかお話しできないので、「特別養護老人ホームにおける人権・自己決定権の保障」というテーマをいただきました。

 研究会の翌日に、福祉センターとおなじ環状線芦原橋にある「リバティおおさか・大阪人権博物館」へ立ち寄りました。
 テーマは、部落差別をはじめとする差別問題からはじまって、近代日本社会における「性と家族」「民族と列島の南北」「身体文化と環境」などのコーナーへと展開し、広く環境破壊、戦争、貧困、差別などへと地球規模の展望をもった展示内容でした。

 じつは「人権博物館」の存在すらぼくは知りませんでした。大阪に行く直前に偶然友人から「人権博物館」なるものがあることを聞いて、どんなものかとふらりと立ち寄ったのでした。
 不勉強なぼくには意識さえしていなかった人権課題も多く、差別の歴史や背景を具体的に語るたくさんの貴重な資料に圧倒され、ふと気づくとあっという間に3時間がたっていました。
 「証言の部屋」というビデオライブラリーでは、免田栄さんの「冤罪との闘い」という証言をみて、こころの琴線に触れてしまいました。
 受付の女性もとても親切でしたし、中の喫茶店のたまごトーストサンドも美味でした。(^^)

 感動さめやらぬ時に、篠秀夫さんの「つぶやき」ページに掲載された「人権」を読んで違和感を感じました。篠さんに反論を書くと宣言しました。ところがいまだ筆が進んでいません。

 そんなこんなのうちに、ずっと逃げてきた勉強のお話が舞い込んできて、今回はなんとなく逃げないで引き受ける気になっいてしまい、市内の社会福祉専門学校で「社会福祉概論」なるものを語ることになりました。90分を15回というのは、かなりの準備が必要なんですね。ふぅ。でも貴重な体験です。35人の生徒さん達と一緒に授業を創っていきたいと夢みています。

 本業の仕事は、施設の補修改修に追われてゼネコン社員状態です。

 憲法のこと、ガイドラインのこと、いろいろ気になり書き留めておきたいことはたくさんあるのですが、まとめる踏ん張りが出てこないスランプの今日この頃なのであります。

 先日、国立近代美術館に加山又造展を観に行きました。地下鉄の駅から出て毎日新聞社の社屋を見上げ、谷口泰三さんのことを思い出しました。今は何をなさっておられるかな・・・と思って。家に帰って来てメールを開くと、なんとその谷口さんからメールが来ていました。
 毎日新聞社学生新聞本部こども環境・文化研究所の所長さんに就任された旨のメールでした。
 なんだかとてもうれしくなり調子に乗って、茅ヶ崎環境文化研究所からリンクさせていただきました。
 「こども世界」に老人をリンクさせることにはとても興味があります。今後つながりが持てたら面白いと思うのですが、、、ますます忙しくなるな。


 札幌の弁護士であり医師である竹中郁夫さんから下記のようなメールをいただいて、なんとお答えしようかと困ったのですが、お返事を書く中で自分自身のスタンスが見えてきました。竹中さんから快諾をいただきましたのでここに掲載します。

At 9:29 PM 98.4.2, dns05127@aurora-net.or.jp wrote:(竹中郁夫さんからのメール)
> 前略、介護と医療のホームページでメールアドレス拝見いた
> しました。
> わたしも下記のような仕事柄、医療・福祉に興味を持ちフィ
> ールドワークを続けております。
> ところで、ホームページを読ませていただいてのお願いとい
> うか質問をお願いしたいのですが、介護保険の導入で医療と
> の整合性はどうなると予想されますでしょうか。端的に言
> って、介護保険の給付に関し、十分のインフラが提供できな
> い、あるいは高齢者医療に比べて自己負担が大きい等のこと
> があると、病院の社会的入院はより進かもしれませんし、厚
> 生省はそうさせないように、高齢者医療の自己負担を上げた
> り、長期入院の点数をより厳しく下げたりするでしょう。
> この辺の問題を現在のインフラや福祉、医療の現況を実際に
> 見ている福祉、医療に興味を御持ちの方はどう見ているので
> しょう。率直な見とおしや印象を教えていただければ幸いで
> す。
>
> dns05127@aurora-net.or.jp 竹 中 郁 夫
>
> **************************************
> 〒005-0812
> 札幌市南区川沿12条5丁目1の11
> もなみ法律事務所
> 弁護士・医師 竹 中 郁 夫
> HP:「医療と法律の談話室」
> http://www.aurora-net.or.jp/~dns05127
> ***************************************
>



(高橋からの返事)
To:dns05127@aurora-net.or.jp(竹中郁夫さま)

福祉分野の介護と、医療分野の療養の整合性とでもいうのでしょうか。
難しいです。

医療は、保険の分野でコスト経営の洗礼を受けてきましたが、社会福祉法人は、措置費のぬるま湯できましたから。
病院に食われちゃうんじゃないかという不安は、社会福祉法人の経営者にあるようですが、ぼくはそういうことにはあまり興味がわきません。

社会福祉法人は、地域の中で、非営利で先駆的な社会事業を創造していくことに存在意義があると思っています。
いまのNPO法対象団体が目指しているような事業を、社会福祉法人はどんどん出来たはずなのに、措置費のぬるま湯に温存し手をつけようともしてこなかったわけで、そんなビジョンを持った社会福祉法人理事会もほとんどないのが現状です。

> 質問をお願いしたいのですが、介護保険の導入で医療と
> の整合性はどうなると予想されるますでしょうか。

 厚生省は、整合性なんて考えていないと思います。
 場当たり的に、金を巻き上げて、介護か看護を提供すればいいとしか見えません。
 厚生省だけが悪いのではなく、それを、その程度の国民が追認しているのですけれども。
 選挙の投票率などみても、国民が当事者としての責任を放棄しているとしか思えませんから。そうやって迎えた老後がどうなるか。これから日本人は体験していくのでしょう。

 ぼくが老人ホームに勤めているのは、高齢福祉の現場は、そんな現実を浮き彫りにし、自分を含めた市民が生活の場面で地域福祉などの身近な社会変革を体験していくことができる面白いフィールドだと思っているからです。

 市民のレベルで、地域の中で、介護保険環境下の地域福祉をどう創っていくか。
 じつはぼく自身も場当たり的に、目の前に表れた身に降りかかる現実から手をつけて行くしかないと思っています。
 そんな中から、日本に市民民主主義の芽が育つとうれしいと思っています。

 お答えにならず恐縮です。
 あまり深く考えず、直感的に動くだけの人間なものですから。

 乱文にて失礼します。
--------------
          高橋健一
http://www.shonan.ne.jp/~kattleya (職場)
http://www.chigasaki.or.jp/~ccn (企画)
http://www.NetLaputa.ne.jp/~kent (個人)
E-mail: kent@shonan.ne.jp (個人)
-------------------------------------------

 なんとかこのページを更新します。重くなったので4頁目としてデビューです。

 


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このページについて

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戦後53年3月13日)ナイフと人権
戦後53年2月17日)オリンピックからのメッセージ
戦後53年2月15日)篠秀夫さんからの返事
戦後53年2月13日)焚き火の会とナイフ
戦後53年2月3日)白河育成園事件に関する弁護団声明
戦後53年1月27日)全国福祉オンブズマン会議
戦後53年1月25日)湘南ふくしネットワークセミナーを終えて
戦後53年1月11日)喜納昌吉さん
 2頁目
戦後53年12月31日)白河育成園のこと
戦後53年10月25日)福祉施設での体罰深刻
戦後53年10月7日)立花隆さんの「税金を食べる人」
戦後53年9月23日)永和良之助さんの講演会
戦後52年7月20日)父権復興
戦後52年7月1日)今のぼくと 神戸の事件
戦後52年6月25日)中空構造日本の深層

 1頁目(永和論文特集)へ

戦後52年5月28日)監査の強化が必要なのか?
戦後52年5月25日)永和さんからの手紙
戦後52年5月4日)スウェーデンの社会サービス法/LSS法
戦後52年5月3日)愛媛県老施協「実習保留」取り下げ
戦後52年4月11日)母性社会日本の病理
戦後52年4月1日)愛媛県老施協が介護実習受け入れ保留


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